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脳log[20200525]



2020年05月25日 (月) 自由意思不在の責任論|mentane|note」■問題設定がすごくクリアに理解できる。そしてひとつひとつの前提に異議はない。そこにどういう答えを出してくれるのか、興味があるというだけでは他人事みたいで無責任だけど、お任せしたい。■最近『中動態の世界 意志と責任の考古学』(國分 功一郎)という本を読んだ。その本でも触れられていたのが『責任という虚構』(小坂井 敏晶)で、これも先日入手した。早く読みたい。■■■note 読んだ。外部からルールとして押し付けられる責任への感受性の違いについて考えた。つまり、責任感が強い、義務感が強い、奉仕の精神が強い人間が、身の丈以上の責任を引き受けて潰れてしまう、そこまで行かなくても不満を覚えてしまうことについて。これは自分が無責任な人間だから、責任感があって勤勉な人間が回す社会のフリーライダーがただ得をする構造になっていてはいけないと思うから。案外きっちり社会の端っこというか外側に流れ着くようになってんのかな?■感受性というより責任の範囲? 自分は自分個人の責任しかとれないと考えてるし、それ以外の責任を関知しないけど、集団や場に対する責任を優先して引き受けてしまう人がいる。社会というのも集団で、そういう人らの支えを前提として成り立っている部分があるだろう。全部ではないかもしれないけど。この二派のあいだのバランスがどのように調節されているか。されているのか。■囚われた憐れな精神の持ち主という見かたが価値中立でないと言って、それだけを理由に両派を対等に置いていいなら気が楽だけど。