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脳log
[20220706]
2022年07月06日 (水)
去年の年末にはまだ「
口語はすっかりら抜きに席巻されてしまった
」という印象だったのだけど、最近本を読んでいて「見れる」とか「食べれる」と書かれているのを普通に見かけることに気がついてしまった。活字ももうダメです。これを入力するときに ATOK は《ら抜き表現》と(普段見ない)指摘をくれるので自分の勘違いでないのは確かなのだけど、もはやら抜きと指摘することに意味がないのかも。学校でどう教えてるのか気になるな。たぶん先生も普通にら抜き言葉で生活してるでしょ。ら抜きも今では表現のひとつとして教科書で容認されているのかどうか。自分が小学生(中学生?)の頃これらは典型的な誤り例として教えられた。■■■「
小説家になろうの「読者が見つけた誤字脱字を修正して作者に送る機能」により『ら抜き警察が2種類もいる』ことに気づいた - Togetter
」 ら抜きが自然な世代がすでに存在しているという話。ら抜きしか聞こえてこないのなら当然だろう。最初に聞いた言葉の印象って強いから、正しい言葉を知っていることを前提とした言葉遊びに子供が早くから触れるのは危ういと思ってる。嘘から出たまことというか、言葉は辞書によってではなくどのように使われているかによって意味が与えられるもので、世代を経るとスタンダードが変わる。本来あるべきものを知った上でズレを楽しんでいたつもりが、下の世代ではズレたものが本当になる。さておき、いろいろなコメントを読むにまだまだまだら抜きに完敗という情勢ではないのかな(負けは確定として)。それと、他の地域を知らないのだけど、ら抜きは関西で強いらしい。全国的には聞こえてくる印象ほどら抜きがひどくない可能性がなきにしもあらず(儚い期待)。
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