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脳log[20190903]



2019年09月03日 (火) この前鍵を忘れたまま出先で自転車をロックしてしまった。そういう事情とともに2時間以上かけて歩いて帰るか、という話をしたら、期待以上の熱心さで親身になってくれ、「家まで送るようにもうじき帰宅する人に頼む」「駅まで送るようにもうじき帰宅する人に頼む」「本人が家まで送る」と、矢継ぎ早に行動し、提案を出してきた。なぜひとつに決まらないかと言えば、自分が遠慮するからだ。「頼まれた人は車で1分の所に住んでいるが自分は20分であり、帰宅のついででも何でもない」「本当に2時間以上歩いて帰ったりはしない。電車を使う」「最寄りの駅までなら送るのにそう大した距離ではないと言うが、そう言うなら駅まで歩くのも大したことではないことになる(※実際のところ徒歩15分)」■結局まだ勤務が残っていた本人が車を出して送ってくれるというのに甘えて乗っかってしまったのだった。提案されて自転車まで一緒に運ばれてしまった。■自分の行動はすごくずるかったと思う。そこまでの反応を期待していなかったというのは言い訳だ。言い訳を続けるなら、自分はそのときの相手のようには行動できないから、そこまでの反応を想像できなかったという事情がある。自分は言葉で提案を却下していた。それには及ばないと。でも相手が言うには、遠慮してるのがわかるから、その言葉は受け取らないのだと。自分の解釈・判断を相手の言葉より優先することは、自分にはできない。■できないというのをやらないことの言い訳にしてきたのではなかったか。自分の要求・期待を言葉にできる人間、ある種厚かましい人間ばかりではないし、そこにつけ込むように、言い訳にしてきたのではなかったか。■いずれこうなる? わかっててもできないよね。「かりかりさんのツイート: "いつもツイート興味深く拝見しています。夫がこのタイプで、ふだんからこちらを気遣ってくれ色々してくれますが、自分が同じ程度気遣いをしてもらえないと思うと怒りまくります。そして私は全然気遣いができないタイプなので、結構大変ですw… https://t.co/gbAKGW03yG"」■余談。「徒歩15分」の解釈がたぶん分かれる。その人は200メートル離れたマクドナルドにも車を出そうとする人だが、自分は家から徒歩30分の最寄り駅まで歩くのを何とも思わないので。徒歩で数分の距離のために車を出したり、それで一号線に右折合流したり、バス停で駅までのバスを待ったりする方が、歩くよりどれほど面倒か。もちろんその日の炎天下を歩かないで済んだのは大いに助けられたところ。■この同じ人に以前出産祝いを(巧妙に)要求され、それに乗っかる形で自分がありだと考える範囲で渡したということがある(※一部が高級チョコレートになって返ってきました)。自分は「奉仕部」でリハビリが必要な人間なので、要求されなければ何もなかった。してみるとタイプが違うというよりは、未熟な自分に合わせてくれているだけなのだな。これが人たらしコミュニケーション巧者というものか。