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[20191217]
2019年12月17日 (火)
「
くれぐれも、放り出すことがないように。
」とは書いたものの、「お前が言うな」と言われてもまったく仕方のないことだと思う。だからあれは論理を越えたところにある呪いの言葉なんである。効くと思われれば効くし、効かないと思われれば効かない、しかし効いて欲しいと望んでいる、呪いの言葉。だけどその結果は beru さんの無駄遣いであると俺は思っている。生み出される「バグ」ではなく、「バグ」を生む人間に対処するべきだと思っている。若くて謙虚で向上心がある相手であれば、目を掛けて報われる未来も期待できよう。でもあれは?■「
この時点
」で抽象を扱う能力にすでに疑問があった。そして風向きを読むことさえできずに正反対に受け取めてしまうのも、これが最後ではなかった(むしろそんな誤読ばかりでつっこみが追いつかないほどだった)。つまり、「ニュータイプ」とはこの文脈において誉め言葉にはならない。抽象レベルの異なる2つの概念、C において抽象的存在であった真偽値と、真偽値に実体を与える具象としての数値型とを、必要に応じて分けて考えられる方が上等なのである。上等な意見がこれ。「
しかしゼロ/非ゼロによる判定はどちらかというとC言語的な世界観であり、それはつまり機械語的な世界観であり、「そういう考え方もある」ことは当然知っているけれども人間的に(というか論理値であることを明示するために)そういう書き方は避けたい人が一定数いる、という文脈として自分は解釈しています。
」 分けて考えられない、抽象を扱えない人間が、自称ニュータイプなんである。雑談だからつっこまないで流せるんだ。それは慈悲だ。■すこし戻ったところにある「
う~む、Rubyでは「if :EXPRの:EXPRが0のときにも条件が成立する」ということがやはり読み取れない。
」も、あえてつっこまずに流した。リンク先にはこう書いてある「if expressions are used for conditional execution. The values false and nil are false, and everything else are true.」 0は nil か? 0は false か? 0が、空文字列が、空配列が、何か特別な扱いを受けると書いてあるか? C において NULL は 0 だが、アドレス 0 はただのアドレスの1つであり、便宜上の定義だと理解しているか? Ruby の変数は参照型プリミティブ型の区別なくすべてがいわば Nullable であり、また、nil(nullと同じ)が NilClass のインスタンスとして定義されていて、数値の1つ(たとえば0)に特別な意味を割り当てるというような妥協が必要ないから、数値は値に依らず値の存在を以て true と判断されるのである。英文ドキュメントが1次ソースかどうかあやしい Ruby であえて英語のドキュメントにリンクを張って、しかもそれが読めていないことをいちいち指摘せずに済ませられるのも、それが雑談だからだ。■自分に都合の良い歪んだ認知世界に安住して自己を省みる目を持たない馬鹿は無敵である。だから馬鹿に馬鹿と言って目を覚まさせる必要があるんだ。それが意思決定の場面であるから、慈悲は退けられるんだ。俺も時にはある面では馬鹿だし、特に馬鹿と相対したときに同じレベルの馬鹿に堕するという自覚があるが、それでも、自分が誤っていることに気付かずにいる可能性に怯えているという点で、まだましだとは自負している。■■■あとつっこみ忘れてたけど、「
これは「オブジェクト指向」という設計思想に基づく変更です。
」 マルチパラダイム言語である C++ を使っていてパラダイムのひとつにすぎないオブジェクト指向を錦の御旗に掲げられても困る。登場から何十年という単位で経ってオブジェクト指向が唯一の解でも万能の解でもないことがとうに明らかになっていて、世の中はオブジェクト指向を捨てないまでその先を模索して到達している地点もあるというのに、今さら「オブジェクト指向かくあるべし」みたいな空論はいらない。まして有象無象の私的解釈なんぞ日本語の入門書より信用ならない。まず「
理解してや
」。そんで出典付きで反論してや。本物を追求する姿勢を揶揄するだけの人間が(「
「本物は違うぜ!」ってところは見飽きました
」)、何を語れるか知らんけど。もう済んだことだけど、言い忘れてたので。
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