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脳log[20191121]



2019年11月21日 (木) 今『<自閉症学>のすすめ』という本を読んでいて、それの心理学の章で心の理論に関するジョンとメアリーの課題が紹介されている。それは……■1.メアリーとジョンは、公園でアイスクリームを売る自動車を見た。2.メアリーはお金をとりに行くために家に帰り、その間にジョンはアイスクリームを売る自動車が公園から離れた教会に移動していくのを見た。3.メアリーは家から公園に戻る途中に偶然教会でアイスクリームの自動車を見た。4.公園と教会の中間地点にいたジョンは、アイスクリームを買いに行ったメアリーを探し始めた。5.ジョンはメアリーがどこに行ったと思っている?■これとっても難しくて色々余計なことを考えた。「ジョンはなんで公園でメアリーを待たずにふらふら中間地点に移動したのか?」「公園と教会は同時に見渡せる位置関係にあるのかないのか? (それにより起こりうる事態が変わる)」「お金を持ったメアリーの目的地は本当に自動車か? 「アイスクリームを買いに行った」というのは真実か? 誰にとっての真実か? ジョンがいるはずの公園に戻ろうとしているとは考えないのか?」「メアリーは自動車が移動したことは知らないはずだが(※ジョン視点)、事実として自動車は移動している。メアリーが自動車がどこにあると考えてどこに行くかは不明瞭である」「ジョンがメアリーについてどう考えるかも、前提知識から変わってしまった現実を前にして、不明瞭である」という風に考えるのだよね。結果として答えられない。■一貫して変化しない信念というものの存在が信じられないのだと思う。変化する現実を前に信念が変化しないはずがなく、ジョンがメアリーについて「こう考えているはずだ」ということを決めつけることができない。だから答えられない。■ジョンは変化した現実を知っているし、実はジョンの知らないところでメアリーもその変化を知っている。ジョンがメアリーについて「(事実とは異なるが)こう信じているはずだ」と考えていると決めつけることが、誤りであるおそれがある。だから望む答えが返せない。■1から5まで番号をふった文章は本からそのまま抜き出したものなんだけど、ちょっと問いが雑なんじゃないだろうか(以前にも……「問いが雑」)。思い込みがはげしくないと答えなんて出せないんじゃないだろうか。それはこういう、「メアリーは自動車が移動したことを知らないはずだ、という風にジョンは決めつけて疑っていないだろう」という思い込み。■実際、回答者にはメアリーがジョンの知らないところで自動車が移動していたのを目撃しているという事実が提示されているのだから、ジョンがその事実を予想しうるというのも否定できない現実であるべきで、ジョンはこう考えているに違いない、とひとつに決めつけることは短絡思考だろう。何か間違ったこと言ってる?(←これ)■■■自分で書いた「ジョンがいるはずの公園に戻ろうとしているとは考えないのか?」という指摘について考えたい。これに合うように4番をちょっと変更して、4.′公園と教会の中間地点にいたジョンは、お金を持ってジョンと合流しようとしているメアリーを探し始めた、としてもパラレル構造が成立するんじゃないだろうか。移動した自動車↔移動したジョン、自動車を目指すメアリー↔ジョンを目指すメアリー。■パラレルが成立するなら、一方に限って自分が「そんなん公園に向かったに決まってるやん」と答えられるのはなぜか。「事実として」ジョンは公園から移動しているのに、メアリーがそのことを知っているはずがないと「決めつけられる」のはなぜか。何が違うのか。「3.メアリーは家から公園に戻る途中に偶然教会でアイスクリームの自動車を見た。」という事実を回答者である自分自身が知らされていた、という違いにより、結論が誘導されていたのではないか。■一度書いてから気がついたんだけど、「そんなん公園に向かったに決まってるやん」「メアリーがそのことを知っているはずがないと「決めつけられる」のはなぜか」という文からは、自分とジョンの視点を同一視している(混同している)ことが見てとれる。正確に書くなら「そんなん公園に向かった(とジョンは考える)に決まってるやん」「メアリーがそのことを知っているはずがないと(ジョンに)「決めつけ(させ)られる」のはなぜか」でなければいけない。前半ではそれができていた。■「3.メアリーは家から公園に戻る途中に偶然教会でアイスクリームの自動車を見た。」という一文の存在が、ジョンと回答者である自分の持つ情報に差を生み、視点の同一化を妨げ、そのことが回答を難しくするのではないか。4番の文を改変した後半では、3番の文が効果を持たないために回答への支え(つかえ)にならなかったと見える。■このことを以て自分の心の理論について何か言えることがあるだろうか。結局俺は前半でも後半でもひとつの視点しか持てていなくて、前提知識の異なる視点を使い分けることができていないんだな。でも世間の多くの人がこの難しいシミュレーションを簡単にやってのけているとも思わないな。だってそれじゃあ人狼ゲームが簡単になりすぎて知的遊戯として成立しなくなりそうじゃない? とはいえ「自分にはこのゲームの素養が一片たりともない」のは間違いのないところではある。それは心の理論に弱点があるからなのか?■■■@2019-12-20 今日は文学のパート(第7章)を読んだ。心の理論に関連して、「知識の呪縛(Curse of Knowledge)」「心の読みすぎ(=知らず知らずのうちに自分の心の状態を極端なほど相手に投影してしまい、『あなたの心は分かりきっている』と思い込んでいる、実はまったく相手の心が読めていない状態)」