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脳log[20230309]



2023年03月09日 (木) 今日読み始めた本が『人はどこまで合理的か?』(スティーブン ピンカー) なんだけど、「認知反射テスト」「システム1(ファスト)とシステム2(スロー)の思考」という用語で説明される間違えやすいテストが紹介されている。こういうの。「スマートフォンとケースを1つずつ買うと110ドルになります。スマートフォンの値段はケースの値段より100ドル高いです。ケースの値段はいくらですか?」 110という数字を反射的にキリよく100と10に分けると間違える。こういう問題を 20230203 のときの簡易版職業適性テスト(Gテスト)の検査 C (数理)で見たぞ。残念ながらその手のひっかけは中1のときに散々間違えたあとだ(「100gの水に 5gの NaClを溶かしてできる食塩水の質量パーセント濃度は?」という問いに 5%と答えてしまうおバカな中学一年生でした」)。20230203 のときも実は一度ひっかかったけど逆方向に検算するのが習い性なので(答えを出す前に)訂正できた。以前に「ぶつかってそれではダメだと気がついたら定義に立ち返ってひとつひとつの手順を確かめながらたどるのが方法。ここでは注意が必要だと学習したから立ち止まって確かめることができるというだけで、失敗しないうちや失敗を回避できるようになれば、やっぱり中間を飛躍して答えに飛びつく高速のパターンマッチングの出番だと思う。それが人間の基本で、トライ&エラーで最適化を重ねた結果が思慮や洗練として見えているという気がする」と書いた。2011 年のベストセラーらしい『ファスト&スロー』(ダニエル カーネマン)がすごくおもしろそう。それでね、定型発達であることの不幸は、エラーに遭遇する機会の少なさにあると思うんだ。短絡思考を修正する機会に恵まれていない。■■■@2023-03-11 日本語の話。116 ページから「20世紀前半の哲学者たちはヒュームの論述を深刻に受け止め、道徳的言説が論理に関するものでも経験的事実に関するものではないとしたら、いったいどういう意味があるのだろうかと悩んだ」。さて、この文は道徳的言説が論理に関するものであると仮定しているだろうか、そしてまた、経験的事実に関するものだと仮定しているだろうか。■「~でも~でもない」の形であれば迷いなく論理に関わるものではないし、経験的事実に関わるものでもないと読み取れる。では実際に見られたように「~でも~ではない」の形はどうだろう。自分は意味を変えずに次のように語を補うことができると考えている。「(たとえ)~で(あって)も~ではない」。そう書いてあるのだろうか。同ページの直前の文がこう「確かに道徳的言説は、論理的言説とも経験的言説とも区別しなければならない」。論理的言説と経験的言説はそろって道徳的言説と区別されるべきものだと書いてあるのであり、道徳的言説が仮に論理的言説であっても、というのは話の流れに合わない。「~でも~ではない」をどう読み取れば良かったのだろうか。もとはの違いが大違いなのではないか。