最終更新: 2013-03-23T23:40+0900
ISO感度比較のつもりだったけど、シャッタースピード 1/10秒という共通条件は、フラッシュが光らなかった ISO12800(しかも合成のために複数回シャッター)に不利だった(たぶんそうだよね?)。2、3メートル離れたところから、電球1個の室内にもかかわらずびっくりするほど写る。フラッシュを使った方も感度を上げた方も。程度問題だけど、アンチエイリアスをボケだといって一律で嫌うような人に同意はできない(何の話だ?)。
DSC-HX30Vの購入前チェックリストには、光学20倍ズームもフルHD 60p動画も抜きん出て優秀らしい手ぶれ補正も入っていなかった。それでどうして DSC-HX30Vになったのか謎。
最終更新: 2013-05-03T00:08+0900
警察は診断書を出して人身にするも示談にするも好きにしろ、相手は怪我してないからあちらで人身にすることはないっていうけど、まるで人身にしたら俺がたかりみたいな電話ごしの警察官のいいよう。こんなオプションはいらんかった。どうせチャリンコは(あるいは俺みたいなのは)こんなもんっていう思い込みがあるんだろう。予断をもって疑ってかかるのが警察だからな。
Sony Readerと DSC-HX30Vを持ち歩いてなかったのが救い。
右から下る青い矢印が自分の自転車。止まれで左折して合流する緑の矢印が相手のバイク。矢印の先頭あたりで接触して、自分は「大」の場所で(大の字とは聞いてないけど)倒れていたらしい。
俺が後方から体当たりをかました、相手の右肩にぶつかっていったと言われているが、こちらは記憶がない。出合い頭ではないそう。バイクが出てきた交差点はバイクから見て右を確認してるあいだに左側ががら空き(飛び出した状態)になってしまうような角度の悪い交差点角が。裏を返すとそこまで飛び出さないなら右がほとんど確認できていないということ。右の角の家に黒い大きめの四角い箱が夕方5時半には止まってた。こうなるとさらに右の視界が遮られる。たいして右を見ずに左折して、右ミラーを確認する手間も省いて進路を変えたんだろうと俺は想像してる。相手はまったくの不意打ちだったと言うんだから周りが見えていない。
だが主張しようにも覚えてないんだなあ。病院で意識がはっきりしてきてようやく思い出した最後の記憶は家を出る前に前輪の空気圧を確かめて空気を入れたところ。欲ばって90-100PSI入れた。最近たて続けに3回パンクしてるからスローパンクだろうか、予備のチューブとタイヤレバーを持って行ったほうがいいだろうか、もう鍵を閉めたからやめよう、どうせ目的地の隣は自転車屋だ、と考えた。前日の雨のチェーンへの影響を確かめるためにギシギシ音がしないか発車してすぐ確かめたはずだが記憶にない。前日にワイヤーを全部リリースしてしまってからオイルをシフトワイヤーに差したので、家を出て2、30メートルはトップギアでスピードが出ないなか漕ぐのをやめてチェーンのテンションを緩めてはシフトダウンを繰り返していたはずだがそれも覚えておらず。
相手は右肩がぶつかったという。電柱で試してみればいいけど、自転車に乗りながら左に手を伸ばして触ろうとしてもなかなか成功しないものだ。反対に、ああっ!と観念して諦めるほど近づいたとしても接触を回避できていたりするのが通例。どちらかが向こう見ずな体当たりをしなければ体の接触はしない。出合い頭ではないし、後ろから近づいた(らしい)俺はもちろん相手を見ていて接触するほど近づいたりはしないはずで、まして接触を回避できない距離に近づくまでエンジン音が聞こえないはずがない。だから相手が寄ってきたんだろうと考えてる。
相手のバイクが出てきたところには止まれがあるんだけど、少し前まで標識が半分かそれ以上電柱の陰に隠れていた。今日確認したら電柱に貼り付けるような形に設置方法が変わっていて隠れているということはなかった。地面に標示がないのは以前から停止線は。交差点の形と駐車車両のせいで相手から右が見えにくいのも、止まれが半分隠れて当てにならないのも、信用ならない車が実際に飛び出してくることがあるのも知ってるから、バイクが出てきた俺から見て左前方の止まれは、ブレーキを残しながら他所より一瞬長く、奥まで注視するのが常(その代わり新しくできた(以前はなかった)右の道の監視はなおざり)。これは体が覚えた習慣。俺はよそ見をしてたんでなく、見えていて敢えて追い越しをしたんだろうと思ってる。接触したという結果と普段の運転をつなげるなら。
何も理由がなければ、十字路にさしかかる直前に追い越しはしない。そのすぐ先にはバス停と転回所があり、右に寄れば発車したバスと衝突しかねない。バスが出てこなくてもすぐに止まれがあり、減速すれば抜かしたばかりのバイクに追いつかれる。自分とバイクは T字の縦棒なんだけど右から直進してくる車も止まれで、優先は左から来る車のみ。だけどまっすぐだということもあって右から来る車が減速すらしないことがある。なので自分は停止線にさしかかるまでは減速しながら右を見張ることにしてる。右ばかり見てると今度は進行方向、左側から下校中の小学生が歩いてきたりするので、フェンス越しにざっと左を見たあと停止線までは右からくるかもしれない車を見張るけど線を超えれば進行方向の左前方を注視して進む。時間帯で行動を変えたりはしない。そんなんで、後ろに置いてきたバイクに気をやる(これはやらしい)意識を残す余裕なんてない。理由がなければ事故のあった場所での追い越しは考えられない。
反対に、自分が見てる前で左からバイクが止まれをするっと通り抜けて目の前を塞いだら、なんだこの馬鹿、と必ず追い越しをするだろう。せっせと加速してまではしないが自転車にとって下り坂で、距離が近くて相手が遅いほど確実に追い越しを図る。
原因は知らないが、後ろでバランスを崩した俺が前を走っていたバイクの人を巻き込んだという可能性もある。てんかん、インスリン注射、タイヤがバースト、ハンドルバーが折れた、地面に油がたまってた。最後以外は即座に否定できる。操作ミス?転倒なんて発進直後に回転しようとしてハンドルが反転してしまったときに手をついた1回と、雨と油でぬれたところで発進しようとして最初のひとこぎで後輪がスリップした1回だけだ。
睡眠と麻酔以外で気を失ったのは初めてじゃないだろうか。以下、それらしい順番で並べた断片的な記憶。
日付を聞かれたのだろうか、一生懸命昨日の記憶と明日の予定を探って火曜日だと答えが気がする。月と日はわからなかった。周りの人は「普段から(日付を)気にしてないのだろう」と勝手に納得していた。この言いようは以前もどこかで聞いたなとデジャヴを感じていたがもちろん記憶が混乱していただけ。その後も一人で考え続け、卒業の季節だったはず、だったら3月だろうというところまでは思い出した。
CTをとられたらしい。オーダーを出して、待ったのち勝手に出向いていったような経緯だったと思うが、自分はストレッチャーか車椅子かで運ばれていたんじゃないだろうか、廊下に出たのだろう周囲が騒がしくなって病人みたいな扱いをされてる自分が恥ずかしかった覚えがある。ここまで視覚の記憶は無し。音だけ。
撮影。目を閉じるように言われたが当然の好奇心でちらっちらっと目を開けて緑の光が点滅してるのを見たと記憶してる。
ようやく一時的に意識レベルが上昇する夢うつつの状態が終わり、記憶が連続してくる。看護師さんに「道具は置いてあります」と一人置いていかれた研修医の先生が困惑しながらも消毒してガーゼをあててくれた。頭が痛い。髪の毛にどろっと血がついてた。
当日中は頭痛がひどくて、数分横になって起き上がったり、立ち上がったりしたときにくらくらした。貧血だと言われるだろうが。切ったりはしてないので失ったというほどの血は流れてないはずだが。
自分は歩いて帰れる(自転車で20分の距離)つもりでいたが一人では帰せないらしい。まあそういうものかもしれない。徐々にふくらんできた血だまりが脳を圧迫して、道中でばったり倒れてたなんてことがないともいえない。
紹介状を持たされたし一回は行っておこうと、旗日数日前にが過ぎた今日、近くの整形外科へ向かったが開いてなかった。帰って確認したネットでは木曜日は午前中だけ開いてることになってたけど、とうとう一日休みにしちゃったんだな。早く済ませたい。
医者の木曜休みは(すくなくともこの辺では)ごく一般的みたい。2人に「木曜やしな」って言われてしまった。
お風呂に入ってるときにふっとそれまで気付かなかったことを閃いて、猛烈に恥ずかしくなったんだけど、それは、救急車を呼んでくれたのであろう相手の人(一回聞いただけでは名前を覚えられない)に最初に言うべきはお礼だったんじゃないかということ。病院で自分のでないタオルが服と一緒にかごに入ってたんだけど、それも相手の人が救急車が来るまでのあいだ当てていてくれたものかもしれない。意識がなかったあいだのこととはいえ想像力が足りない。今も確定していない事実をもとにして見込みで何かを言うべきか迷ってここに書いてる。そもそも救急車で運ばれたのかどうかからして定かでない。見当識の確認をしていたのが救急隊員だったのではないかと勝手に推測してるだけで、赤色灯もサイレンも白い車も見聞きしていない。
病院で頭の検査が終わって、仕上げに体の表面の処置が始まったころにようやく視界が定まってきたんだけど、一番早い時期に自転車がどうなったかを聞いた。現場に放置されてる想像しかできなかった。すぐには答えが得られなかったんだけど相手の人が預かってくれていると聞いて心配事がすべて晴れた気になった。自分の体の一部がなくなってるかもという心配も点検もまったくしなかったのに。
自転車が確保されているのを聞いたときに「ありがたいことです」と実際に口に出した覚えがあるんだけど、げんきんなもので自転車と対面したときには自転車が失われてないことはもう当然のこととして、どこが壊れたかということしか目に入らなくなっていた。
自転車のことを聞かされたのと前後して、警察がどうのということ聞いた。このときはまだ、事故の相手も警察官も病院関係者から伝え聞くだけの仮想の存在に過ぎなかった。待ち時間が暇で警察に連絡をとったとき(警察の関与が確認できたのと)相手はけがをしてないことを知った。相手はバイクに乗っていたと聞いた気がするが、けがをしてないのだったら車に乗っていたというのを聞き違えたのかもしれないとも考えていた。なにせ記憶にはそれらの人物がさっぱり存在してないのだから。
夜の住宅地を原付で通ったときのこと。道の真ん中の暗闇にうずくまる人とそばに立つ犬を見かけて、道をふさぐようにして原付をそばに止めた。立てるか聞いたが無理そうで、すぐ先の家を指して人を呼んでほしいと切れ切れに言う。家から女の人が出てきて、倒れていたのは散歩に出たおじいちゃんだとわかった。このとき多少動転しながら早口で「通ったら倒れててこの家を指して人を呼んでほしいと言ってるがここのおじいちゃんですか?」というふうに尋ねたのだが、そのとき自分が指さした先を見て「あ、これ俺がひいたみたいやな」という感想をもった。その後、何事かと出てきた隣の家の人にこの女の人が説明するのを傍で聞いていて、誤解されていないことがわかった。
何が言いたいかというと、立場を入れ替えたとき「あんたがひいたんちゃうの?」という疑問をもち、あまつさえぽろっと口にだしてしまいかねないのが自分という人間なんだなあと、今回まさしくそういう失態を演じてしまったんではないかなあと後悔しているところ。
順番を間違えたなあ。被害者意識が強すぎるんだなあ。
最初の最初からそういうそぶりを見せていたので驚きではないけど、不愉快な展開。自分らはまったく悪くないので自賠責からも何からも一円も出すつもりはないと、それだけのことを婉曲に伝えるために JA共済の人間が来た。そりゃあ、相手の当事者は俺の姿を衝突まで一目も見てない正直かつ正確にものだから、俺のことを降ってわいてきた災難、自分は巻き込まれただけと考えたのかもしれない。保険屋は即座に否定したけど。じゃあどう考えているのかと問い詰めるべきだった。
視界の外から時速100kmで近づいてくる車を避けることができなくて責められることはないかもしれないが、時速20kmで近づいてくる自転車に気付かなくて数秒後に接触に至ったのを過失ではないというのか?
まず、上司や保険屋に阻まれて警察を交えた場でしか話せてないんだけど、相手の人が非常な好漢。わからないことを適当に誤魔化したりしないことや、事実と判断を混同したりしない頭の良さを持ってるという、既に持っていた印象を裏切らない。
ハンドタオルのこと。警察が来るまで話をしてたのだけど、通りがかりの人が差し出してくれた物だった。初めて聞いた新しい関係者。すでに受け取ってしまった以上(そうでなくても!)、悪いことはできないと改めて思う。
警察は必ずしも「十分な」安全確認を求めてないということもわかった。「普通の」注意を払っていればそれで良いらしい。これが否定されるなら警官が相手に肩入れしていたということ。警察がそういう態度なら俺はどうしたらいいんだろう。「普通に」してたら(自分の責任において)安全が確保できない、ろくでもない交差点に拳を振り上げるしかないのか。止まれがなくて優先・非優先の区別がなければ間違いなく俺は違う行動をとっていた(事故も起こらなかった)が、結局そういう狭量な行動原理が事故を招いたとかいう結論にしかならへんのか。つまらん(←コレ!)。
角が 削られてるのが地図でわかると思う。これで見通しが良くなるかと期待するところだが、実際には途中で Rが小さくなる複合コーナーのようになってしまってる。削られた面に沿って視線をやってどれだけの範囲が見えるか想定してみるといい。(2013-03-21)
停止線は あったみたい (2013-03-21)
自転車にとって 加速が一番の疲労のもと。減速も加速もしないで定速で走るのが楽をするコツ。気まぐれにアクセルを開けるような走り方はしなくなる。よっぽど腹に据えかねて怒鳴りつけるつもりで追いかけて追いついても、こちらの息が絶え絶えでまともに喋ることなんてできない(2度の経験談)ので、能動的に追いかけることは稀。ちなみにこの2回はどちらもクラクションで相手がこちらを非難してきたケース。間違ってるのがどちらかはっきりさせる必要があったから追いかけた。
下り坂で ペダルをこぐことがまずない。ブレーキでスピードをコントロールすることに終始する。それに、上りのあとの下りは貴重な休憩時間。
数日前に 仕入れた言葉を使ってみた。子供の頃は田舎に行けば玄関に旗が立ってるのを見られたけどね。
正直かつ正確にも 自分が見た範囲に俺の姿はなかったと、そう言っていた。