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脳log[2015-03-19~]



2015年03月19日 (木) ソニーのメールマガジン。件名に含まれる特集に興味を持って中身をスクロールしていくんだけどいつまでたっても見つからない、ということが初めてではないので今日は真剣に見直してみた(これまではそのままうっちゃっていた)。判明したのは、メール本文の最初の最初のバナー広告だけが件名に関連していたこと。見逃す要因を探してみよう。見た目がコンテンツではなく広告なので目に入らなかった。なぜ目に入らないのに広告だと判断できるのか。位置、そして背景によって周囲から浮き上がった一塊の何かに見えること。何か=埋め込まれた異物=は広告=見る価値のないもの=に決まっている……というのは言い過ぎで、無価値かどうかはマッチングの精度しだいで一概には言えないが、すくなくとも自分が見ようと思ったものではなく他人が見せようと思ったものであることで優先度は下がる。どうすれば良いか。一言添える手間すらかけず画像一枚をベタッと貼るにしても、テキストを分けよ。テキスト=コンテンツ=を背景に埋没させるな。お前が使ってるメディアはメールだぞ。わかれよ。■20130329とか20141030に対するのと同じ反応だと思う。■@2015-04-04 まさしくこれ。「島田範正のIT徒然 » 「バナー広告には誰も関心を払わない」という科学的証明」スクリプトを切ってると見えない(20150324)、あのうざい広告のことをネイティブ広告というらしい。こちらの仕分けコストを考えるならバナー広告も最悪ではないのかもしれない。


2015年03月18日 (水) この小4の問題難しすぎワロタwwwwwwwww : 暇人\(^o^)/速報 - ライブドアブログ」■すれたおっさんは√2を探して1・1・√2の直角三角形を利用し、√5を探して1・2・√5の直角三角形を利用するところだけど、小4だったらテキトーに四角形を作って方眼の点の数を数えるんじゃないの?「ビックりする?! ピックの定理 - すぐるの算数カルチャー講座


2015年03月17日 (火) ハッコウイチウと読むらしい。「「八紘一宇」とは何か? 三原じゅん子議員が発言した言葉はGHQが禁止していた」■初めて目にした(と記憶している)のは「[新書] 保阪 正康【なぜ日本は〈嫌われ国家〉なのか 世界が見た太平洋戦争 (角川oneテーマ21)】 角川書店(角川グループパブリッシング)」を読んだとき(去年の年末!)で、その次に目にしたのが「中里一日記: 八紘一宇はなぜ悪いのか」。これで最後。何の思いもない。どんなお題目を掲げようと最後はそれを担う人間によって正反対の結果を導きうる。それでも、こういうかび臭い言葉を持ち出してくる人間に対しては全体主義の気配がないか警戒する。てんでんばらばらの方向を向いた個々人がただそこにあるというだけで尊重される「家」であるなら何の文句もない。してみると、俺に響くのはハッコウイチウではなくレリビであるらしい。どれだけ素晴らしい(と思える)考えも集団を形作ったとたんに胡散臭くなる。自分の行動規範にしとくぐらいでちょうどいい。


2015年03月15日 (日) 四則演算それぞれ二通りの読み方はわかったけど……。「「足し算」「引き算」を英語で何というか:PRESIDENT Online - プレジデント」 additionと subtractionは出てこなかった。


2015年03月13日 (金) [Vista] 毎月恒例になりつつある Windows Updateの不具合。しかし、ウチの Vistaにはとんと問題が起こらないんだなあ。Officeが入ってなくて(そして最近の Visual Studioは入れられなくて)更新が少ないから?忘れられてない?パッチ当たってる?実際に「パッケージ KB3008627(Update) がこのシステムに適用できないことが検出されました。」みたいなログが結構ある。普通がどうなのかは知らないけど。■どうも 7からは事情が違うような気配があるのだが、ダウンロードはするがアップデートを適用するかどうかの決定をユーザーに委ねる設定だったり、アップデートしたあとで再起動するタイミングを4時間単位で延々先送りできたり、そういったことができなくなっているのだろうか。単に、何はさておき(扨措き)設定画面をくまなく渉猟しすべてのオプションを把握し試してみるような人間ばかりではないってことなんだろうか。■もし MSがユーザーを信用せず裁量を取り上げたという事実があるのなら、金輪際 Windowsをバージョンアップすることはない。


2015年03月11日 (水) 文脈自由文法の文脈自由が context-freeの訳語だと初めて知った。そういう意味の名前だったのか(いまさら)。文脈非依存の方がわかりやすいかな(そうでもない?)。■■■読んだ。「コンパイラ - コンパイラの最適化についてすべてのプログラマが知っておくべきこと」翌日はてブでも見つけた。そして、予想の範疇にとどまるコメントの数々。「あとでよむ」「面白そう」「スクリプトでは」「理解できないおいらはコーダー」「Webでは」「Androidでは」 C++の話題ってこうよね(.NETの JITコンパイラとの比較もあるので話題は C++に限られていないが)。記事のタイトルは誇張ではないよ。読んで、これが有用な記事だと思ったのなら、プロシュートの兄貴に咎められてもしかたがない。■「「ブッ殺す」…そんな言葉は使う必要がねーんだ。なぜなら、オレや、オレたちの仲間は、その言葉を頭の中に思い浮かべた時には! 実際に相手を殺っちまって、もうすでに終わってるからだッ! だから使った事がねェーッ。ペッシ、オマエもそうなるよなァ~~~、オレたちの仲間なら… わかるか?オレの言ってる事…え? 『ブッ殺した』なら、使ってもいいッ!」


2015年03月10日 (火) わかったのは半分。「C言語分かってなかった (I Do Not Know C) - Qiita」■2,3,6,8,9,11は答え、理由、追加の答えまでわかった。1の仮定義ってな特例は何? K&R Cの遺産? 特に弱かったのは浮動小数点数関係。符号付き整数のオーバーフロウ未定義も知らなかった。負数の表現方法が決まってないからとか? 5はつまり size_tにはそういう保証が含まれてるってこと? でなきゃ是非はケースバイケースとしか言えない。ptrdiff_tみたいなのもなかった? 7はエンディアンって見えたので問題を読みもしなかった。バイナリ怖い。


2015年03月09日 (月) GDPの年率換算。数字を4倍することに意味があるのかとちょっと検索してみた。まず、単純な4倍ではなく複利を計算するように ((1+四半期GDP)^4-1)×100(%) という式で求めるらしいのがわかった。当然行うべきだろうと考えていた季節調整は信用できないことが知られているらしいこともわかった。なので前期比より前年同期比の数字の方が使えると。■ところで、第一四半期、第二四半期と年度内の確定数値が積み上がっていくと思うんだけど、それを使って不確定部分を減らした年率換算GDPを計算したりはしないんだろうか。というか、四半期ごとに直近4四半期のすべて確定値に基づいた数字を出せばいいんじゃないの? 結局、年率換算しておきながら年間を通した GDPに興味があるわけでなく、四半期ごとの数字をいじくって並べて一喜一憂したいだけなんだろうか。■そもそも積算値である GDPが(国家にとってはともかく)いち国民にとってなんぼのもんじゃというのもある。Ganbare! Nissan! Pulsar! その値にしたって無駄をそのままにして右往左往してるだけで積み上がっていくようなものだ。経済が一国内に閉じて自給自足できているならその数字にも意味があるかもしれないけど……ってそういう目的には経常収支を見るのか。GDPは規模の数値で回転の大きさを、経常収支はそのサイクルに出入りする流れを表す。一番まずいのはなんだろうね。緊縮財政で流出を絞り副作用で流入も減ってしまい回転が止まる(止まりはしないが自給自足でどれだけの規模(規模を構成員で割ると豊かさ)が維持できるのかって)こと? 回転を維持しようとするも流入が思わしく増加せず回転半径が際限なく縮小していくこと? 錬金術はこれへ抵抗して見かけの規模を維持するための姑息な手段で、実質がついてこないといずれ化けの皮がはがれる? 内需とかフローが関連ワード? 均衡点はどこだろう。それを決めるのは天然資源じゃないのだから人への教育? さんざん聞いたような話だ。散々に繰り返しの意味はない? その用法はジーニアス和英辞典にしか見つからなかったし、再三の間違いじゃないかって意見がある。■緊縮財政ってなんだ?単に規模を減らすだけなら息を止めて窒息するようなものじゃないか? 国外に向かう金の流れを国内に向けるために積極的に支出するのがいいんじゃないか?■日本人は iPhone大好き(最近はドイツ車も好き)だけど国産品信仰も(手前味噌が過ぎて気持ち悪いのだが)わりとあって、エネルギー買い付けによるロスを最小にするだけで良くなりそうなもんだけど。あとはなんだ、国内産業が消費者のニーズをどれだけカバーできてるか?国内に需要があって金が稼げる分野……ってのが医療とかロボットなん?■イメージ先行でさっぱりまとまらない。■重点政策で検索したら「自民党重点政策2014 | 政策 | ニュース | 自由民主党」ってのが見つかったけど、重点といいながらいったいどんだけのことに目配りする必要があるのか。中央管理で扱いきれる複雑さを超えてるよ。もちろんそうはなってない?■@2015-03-19 引き続き『[単行本] アンドルー・ゴードン【ミシンと日本の近代―― 消費者の創出】 みすず書房』を読んでるんだけど、まあ、俺が考えつくようなことは戦前の日本でとっくに実行されていたりする。それから労働に関して、デジャヴを感じる、むしろ現在よりも日本人の気骨と洞察を強く感じる、経過が第一部とくに「ヤンキー資本主義に抵抗する」の章に描かれている。やっぱり現在はルールに従順すぎて思考停止してる人間が多すぎるんじゃないだろうか(20110830p01)。少なくとも戦前の方がましに思える。


2015年03月08日 (日) アクセルとブレーキと VGSモドキ。「池田直渡「週刊モータージャーナル」:印象だけ高性能でも――自動車メーカーの罪深い「演出」 (1/3) - Business Media 誠」■実際あるんだよね、ドライバーに思い通り操作させてくれないくせに、じゃあ機械が勝手にうまいことやってくれるかってぇとほぼペーパードライバーの俺より下手糞なギクシャク車が。発進とかブレーキとか、以前の車よりものすっごい神経使ってスムーズな操作にするんだから。なんで人間が機械の方にアジャストさせられるんだっての。もういちど書く「俺は、馬鹿な(思い通りにならない)機械を、憎んでる。冷静さを失うほどに。まして、そいつが自分のことを気がきいてると勘違いしていようものなら……(たたきつぶしてやる!)。


2015年03月07日 (土) 郵便受けのフタってアクリル板(もしくはポリカーボネイト、塩ビ。素材の感じ……小学校か中学校卒業記念の透明直線定規(45cm)がアクリルだった。ポリカは CDがそう)に穴を空けてつまみを付けただけのものだった。Pカッターと合わせて 1200円。Pカッターなんて初めて聞いたけど、板を買おうとするとおすすめしてくるアマゾン有能。普通のカッターかノコギリを使うのかと思ってた。穴あけはタッピングネジでぐりぐりと、割れないように両側から、仕上げは棒やすりで。■たわみ防止策を考えてる。そういう補強部分をリブっていうみたいだけど、部分的に厚みを増すとか? 内側に出っ張ると突っ込まれた郵便物が引っかかってフタと一緒に持ち上がったり邪魔くさそう。付けるなら外。ただしつまみより低い位置に付けないとこちらは枠に引っかかる。つまみを取っ手(想定していた物は丸棒ハンドルっていうらしい)に替えたら掴みやすくなって補強にも(というか力のかかり方が適正にも)なる? 問題は取っ手付きのフタの付け外しができるかどうか。無理な取り扱いで割れてしまうより手応えが頼りなくて外れやすくてもたわんで耐える方がましなんだよなあ。買ったのはあと2枚くらいフタがとれる大きさのアクリル板なので失敗しても大丈夫。■ハンドルってのは取り付け基部を破壊する力をかけるハンドルにもなるのか。中途半端に補強すると補強しなかったところに歪み(ひずみ)が集中して割れやすくもなるし。良し悪ししかないじゃないか。でっかいワッシャーで OK? 素材に依存できないのもシンプルなのも難しい。■外径20mmのワッシャーでアクリル板を挟んで、「["スガツネ工業 ステンレス鋼製 ハンドル H-42-C型 H-42-C-8"]」とステントラスネジ(M4×10mm)で締めた。ステンレスの方がアルミより細く小さくできるみたい。もちろんプラスチックよりも。ネジの長さはワッシャー2枚(1mm×2)+アクリル板(2mm)+ハンドル穴深さ(7mm)より 1mm短い 10mm。ゆるみ止めとかは考えなくていいの?■しまったこっちの方が安い。「["TRUSCO 引き取手 ステンレス製 めねじ Φ6XL66XH23 TTO660A"]」 4枚150円のワッシャーにしたって五円×4で済ませてよかった。■ワッシャーの向き。「ネジ/ボルトを締める時に使用する平ワッシャの向きは平らな面が下ですか... - Yahoo!知恵袋」ワッシャーとアクリル板の段差が万一にも郵便受けの枠に腰掛けないようにと考えたのだけど、そうか、アクリル板にひっかき傷がつくか。切断面をやすったときに手を滑らせてもう散々傷をつけたけど、反対向きにすればよかったな。■アクリル板の透明度は素晴らしい。黄変した板が割れて(いや、割れたのをガムテと添え木のMDで補修してたのがさらにどうしようもなく割れたので)しばらくフタなしだったけど、今もフタがどっかいったように見えて二度見してしまう。大変満足している。


2015年03月05日 (木) [Firefox] とうとう Firefoxにもルビが……(縦書きが仲間になりたそうにこちらを見ている)。「Ruby support in Firefox Developer Edition 38 ✩ Mozilla Hacks – the Web developer blog」全然違和感なかったけど参考画像が超電磁砲(レールガン)だ。■以前にもリンクを張った去年の7月の記事「CSS3のルビ機能を考える - ちくちく日記」■待っただけあってすごくいい。自分にとってはあれができないこういう不都合があるということのない全部入りだし、むしろそこまでこだわる?という部分(space-aroundと space-betweenの違い)もあり、それでいて冗長さのない使いやすいマークアップになってると思う。省略と補完を前提にしたタグの使い方はセパレータとして理解できる。こんなんだったら hikidoc.rbに追加したルビ記法(20121128p01)の仕事なんて記号からタグへの逐次的な置換だけで済んでしまう。■もろもろの理由があって Firefoxのバージョンアップは 23.0で止まってしまってるけど(20131210)、ちょっと悩むな。ちょっとだけ。


2015年03月04日 (水) アイロンその後(前出:20141109)。1)アイロンはもちろんだがアイロン台が暖まってからが本番。2)簡単なところからかける。折り目をつけた所は扱いやすくなる。3)引っ張るのは縫い目に沿ってか生地が伸びない方向に。あとは重力そしてアイロン台との摩擦を利用してしわを伸ばす。4)アイロンは引っ張ったのと同じ方向に動かす。面を利用すれば縦横に動かす必要はない。下手に生地を伸ばしてしまうと面倒なので。5)重ねた生地を相手にするときは圧力をかけるのが有効。でないと下側がいまいちシャンとしない。■■■@2015-05-25 湾曲したアイロン台はいらいらするね。袖口とかボタンのあいだとかアイロンの先っちょで細かい部分のシワを伸ばそうとすると、してるつもりなのに、よく見ると浮き上がっていてさっぱりだ。■湾曲してるのの何がいいのかと検索してみた。人体のカーブに合わせてあるからシャツが密着する?さいわい立体裁断を相手にする必要はまだない。点で接するから滑りがスムーズでシワを寄せにくい?でも俺は面でプレスしたいんだよ。普通のアイロンは大きすぎて接触点(かけ面の真ん中へん)で隅々までカバーできないんだよ。シワが寄りやすいなら生地の向きや縫い目を読んでアイロンを動かす方向をひとつに決め、その一端を左手でつまんでおけばいいじゃない。滑りはアイロンの方のニッケルやらセラミックやらチタンのコーティングに任せた。スムーザーなんてのもあるって。


2015年02月28日 (土) バズワードっぽいなとだけ知っていたが、最近読んだ本にも出てきた。「「ナラティブ」概念について - Togetterまとめ」■本は『[単行本] マイケル・S. ガザニガ【〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義】 紀伊國屋書店』。いわく左脳にはインタープリターが存在し事後的に現象(自分の行動)を解釈しているのだと。でも事後解釈であることが全く意識されないのは自分に聞いてみればわかる。脳梁(左右の脳のつながり)を切断した患者は右脳が起こした行動を、耳で聞くか目で見るまで左脳が知ることはできない。右脳と左脳は視野の左右・運動神経の左右の処理を分担してるのだけど脳梁を通した情報交換が阻害されている人間の右脳と左脳に対して選択的に入力と出力を行う(行わせる)と、指示とは異なるちぐはぐな結果が現れる。で、結果に対してなんでそういう行動をとったのかを説明させると、さも当然とばかりに傍目にはこじつけめいた理由を述べる。本人はしごくまっとうな理由で自らの意思に従って行動したと疑っていないが、右脳と左脳の両方が入力を受け取っていれば同じ結果にならなかったのは明らかなのだ。ヒトは左脳が解釈したストーリーを自分の意思で選択した結果であると信じて生きているのではないかと。この文脈でナラティブという語が出てきた。■すっごくテキトーな理解と説明なので正確なところは本を読んでね。一般向けの本だし、インタープリターについて書かれた3章も、脳が中央制御なしの並列分散処理装置だという2章も、個が全体を構成し全体が個に影響するというフィードバックのループが人類を作り替え飼い慣らしてきたという、今読んでる『[新書] 蔵本 由紀【非線形科学 同期する世界 (集英社新書)】 集英社』にも通じる6章も、他の章も、まあ全部面白かった。■だから、Togetterの「承前)《リニアかつ固定された物語》はナラティブではなく《プレイヤーがゲームをプレイすることで事後的にプレイヤーの中に生成されるような物語》こそがナラティブであるとするのは、かなり特殊なナラティブの理解であり、ナラティブの従来の意味を知っている人が戸惑いを感じるのは当然だと思う。→」という発言に対して、むしろそれこそが俺が本から得たナラティブの理解そのものではないかと思った。「ナラティブの従来の意味」を俺は知らないのかもしれないけど、べつにその「独特な」ナラティブはゲームデザイン業界に限ったものでもカタカナ語化する際の誤解や曲解でもないと思う。■「フロム脳」とか「ドラクエ 考察」とかが実例じゃないの?■(ちょっとそれる) 一から十までわかりやすく書かれた文章には十の価値があるかもしれないけど、フィクションは読者を辞書として利用することで一を十にも百にもして伝えることができるんじゃないかというシャノンの情報理論を超える話。このとき読者に伝わった十や百の物語が俺の考えるナラティブ。(おお、話が戻った)■「narrativeは物語か語りと読んどけばとくにまちがいない」という発言もあるけど、物語るのは誰か?というのが本質なんでは? つまり制作者ではなく個々のプレイヤーであると。■最近読み始めた別の本『[単行本] アンドルー・ゴードン【ミシンと日本の近代―― 消費者の創出】 みすず書房』にもナラティブって出てきた。こんな一般的な語だったっけ?はやってんの?翻訳の必要のないカタカナ語だってみなされるようになっただけ?(<それは間違ってる)■@2013-03-10 毎年毎年飽きもせず年末に繰り返される忠臣蔵だとか、アンビリバボーが現実の出来事をどのように切り取り視聴者の情緒に訴えるかといったところにもナラティブが隠れてそう。たぶんこれはミシンの本での使われ方と同じ。ゲームの方との違いは、散々語られ尽くして強力に作用することが確認された間違いのない方法論だけど、対象が固定されるところ。世界で売るゲームには向かないよ。俺だって見ないしね。韓ドラにはまるおばちゃんの例に見るように、逆に韓国には通用するかもしれないけど、そこまで。