ショートメッセージの中には発信元の名前だけでなく、電話番号まで偽装され、本物の携帯電話会社から届くメッセージと見分けがつかないケースもあった」ってどういうこと? 番号を偽装っていうのは具体的にどういうメッセージだった? 「つまり、"NTT DOCOMO" を詐称したSMSは送ることができるが、東京都の電話番号を詐称したSMSは廃棄されるということです。日本国内のネットワークでは、発信元が実在の電話番号の場合、詐称できない(キャリアで廃棄される)仕組みになっているからです。 海外ネットワーク経由は詐称できる場合がありますが、日本国内の電話番号を詐称したSMSは日本国内のネットワークで廃棄されます。」というのを信じるなら、日本のキャリアを通じて日本の携帯電話会社の番号をSMSの発信元として偽装することは不可能なんだけど。■重箱の隅をつつくと、「
ショートメッセージの中には発信元の名前だけでなく、電話番号まで偽装され」というのは原理的に不可能であって(※送られてくる発信元「文字列」と「電話番号」は排他であり、ひとつのメッセージではどちらかを偽装することしかできない)、好意的に解釈するなら、そういう偽装メッセージもこういう偽装メッセージもあった、ということになるけど、表現することに対して脇が甘い。
コードの改善提案はその人の一部への改善提案だ。コードをリライトされたらそれはその人の一部がリライトされたのだ。」という状況は存在する。自分の場合それは細部へのこだわりから生じる。秩序、一貫性、読みやすさ、コードを構成する流れ、背景にある哲学といった、正誤や数値の大小では捉えられないものだ。誤っているという指摘なら受け入れて訂正できる。(計算量のオーダーが変わってくるほど)数値が劣っているというなら受け入れて優れた手法を採用できる。一長一短があるというなら優先順位を議論することができる。そうではない、言ってみれば「どうでもいい部分」こそが実は「どうでも良くない」のだ。要するに、「(結果に対して)どうでもいい部分」こそが「(書いた当人にとって)どうでも良くない」ということ。それは目的に向かって当人が選び歩んだ軌跡であり、目的が達成されている限りは、傍観者が茶々を入れて許されることではないと感じる。■まとめ。「クソの役にも立たない」修正要求が人格攻撃として感情的対立を煽る、と書いた。お気持ちに基づくマウント合戦の始まり。おう、受けて立ってやるぜ。ところがここから、対話を成立させないことにより合戦が始まらないという第二の状況が現れた。「俺の意見が結論だ」である。正誤も優劣もお気持ちもその前には等しく無意味だ。横暴な上司、というのではない。ではこの勘違い野郎は何様か。■なぜか 20190806 ではなくこちらに関連する?「担当編集者さんのご趣味で、ご自身の大好きな、猫を出して差し上げるまではネームが絶対に通りませんでした。ご自身の夢だった獣医師という設定をキャラクターにつけるまで「レズビアンの殺人犯でお嬢様というだけではあまりにも無特徴」「読者に引っかかるものがない」とのことで、掲載の可否を決める会議にすら持って行ってもらえない、という時期が続きました。何度直しても、他にどんな物語を提案しても、獣医師と猫を出すまでは絶対に駄目でした。担当編集者さん個人のご趣味のために作家生命のかかった企画を捻じ曲げて自身の名義で描くのは、とても辛いものでした。」