酸素系漂白剤は、藍染、ウール、シルクに使えないといった注意点があり、できることなら入れたくなかったのかもしれません。」 だってね、そりゃあね、シルクを洗うならおしゃれ着用洗剤を使ったりするでしょう。一番の期待に応えられずに何をやっているのかって話だよ。■クチコミをひとつ加えよう。アタックZEROの感想。臭いは、アタックNEOよりはずっとマシ。青ボトルの抗菌EX Wパワーとはどっこいどっこいかちょっとマシ。緑ボトルの抗菌EX Wパワーよりは臭いが気になる。バスタオルが以前から週一洗濯なんだけど(※毎日の使用後に空気清浄機の風を当てて比較的素早く乾かしている)、生乾き臭が出たということはない。綿100%だけどゴワゴワ感は減った。パリッと乾いた気がしなくて物足りないが、どちらでもいい。こういう評価なので、抗菌EX Wパワーの後継としてアタックZEROを使っている。緑ボトルはもう買えないし。同じ花王の商品だとは知らなかった。■抗菌EX Wパワーのアマゾンのレビューには、花王への抗議活動としてある時期に大量のスパムが投稿された。クチコミを読むときには偏向を外すためにある程度色眼鏡を通す必要がある場合もある。成分変更が理由なら根拠なき中傷だとは思わないけども。
最終更新: 2020-05-29T18:54+0900
これまでのところ一番楽しいボスだった。隙だらけだし(※)、攻撃が見えるし、対応できるはずなのに、死ぬ。簡単には乗り越えさせてくれないが攻略のしがいがある、絶妙なラインだった。
※手裏剣で予告してからの躱しやすいジャンプ斬りとか(背後に回り込めば2回まで斬れる)、禁薬玉を投げた後の長い硬直とか(歩いて回り込んで斬れる)、振りが大きくて中断させやすい初太刀とか、壁を背負ってるのにバックジャンプで空中無防備とか、壁に向かって迷走して背中が無防備とか。
他人のプレイ動画を見ていて難しいのは、防御したのか防御されたのかが音で判別できないことだと思った。プレイヤー自身は間違えようがないけども。何が違うのか。防御した方の体幹ゲージが溜まっている。
弾きが成立したときには双方の体幹ゲージが溜まっている。弾きは一方的に有利な手段ではないし、ノックバックや硬直で攻撃チャンスを逃したりもするから、(選べるときは)回避の方が常に有効。
あとわかりにくいのが、最も効果的な攻撃はドスッという派手さのない鈍い音がしたときだということ。そのときには HP ダメージと体幹ダメージが通っている。弾いたり攻撃を防御させたときには体幹ダメージだけが通る。で、さっきも書いたけど、どっちが弾いてどっちが防御してるのか、よく見えないし音で判別もできないのが難しいね、と。
YouTube でゲーム実況してる人(複数)の目の良さにしばしば驚かされる。言われて一時停止して凝視してもわかんねーことが、コントローラーを操作しながら実況をしながら動いている画面の中で気がつけるのだから(あそこにでかい猿が(小さく背景に紛れて)見えるとか、どんな武器を持ってるとか、そことここに何人敵がいるとか)。俺は敵がどっち向いてるのかもわからん(現実でも歩行者が近づいてきてるのか遠ざかっているのか、判別に時間がかかる)。
最終更新: 2020-05-29T19:00+0900
次のボスも同じ人物。他にできることが(幻影でない方の)破戒僧に挑むことだけなので、記憶が鮮明な内にこちらを。
攻め力が9だったんだけど、ダメージが少なすぎてつらかった。距離を詰めてどんどん斬っていっても、驚くほど HP ダメージが通ってないし、体幹ダメージは蓄積しないし、肘打ちと爆竹を交えた一番危険なコンボで満タンの HP を為す術なく持っていかれて死ぬしで、いいことがない。卑怯だけど距離をとって攻撃チャンスを待って HP を削ってすぐまた距離をとるチクチク作戦。退屈な長期戦だった。どこに分かれ目があったのだろう。追加された危険攻撃の対応が容易で、それを待つだけでダメージが稼げるからだろうか。後半戦で追加された梟を使った攻撃も同じくイージーで、戦闘を間延びさせるだけだったからか(だからといって2機目で激しくなれば投げ出したくなっただろう)。
意識の1割くらいはステージ内での立ち位置に割いてる。相手との間合いを計るときに、前へ詰めていくのか、右へ下がるのか左へ下がるのか。青い梟からの落下攻撃を避けるときは攻撃の向きを限定するためにあえて壁際を走ったり。これができるようになったのはダークソウルで二人組のボス、オーンスタインとスモウの洗礼を受けたから。上手い人のプレイ動画を見てると例外なく敵の動きが見易い。それは偶然ではなく、2体が同時にカメラに収まるように立ち回っているから。攻略サイトで柱とカメラワークに文句を付けるコメントが目立ったので書いた。自分も動画中で右側に避けたいけど柱があったから左に避けようとして失敗している場面がある。
ちなみに一番死んだボスは鬼庭形部雅孝(2、3番目が義父と大忍び 梟)。負けイベントと中ボスを除いて一番最初のボスだったから、HP ゲージが短いし、回復瓢箪が1回か2回分しかないし、爆竹が効くって言うけど高いところにいる供養衆(トロフィーの順番から判断して見逃していたのはわかっていた)が見つけられなくて持ってなかったし、防御がノーダメージだってまだ知らないし、隻狼は弾きゲーなんでしょって思ってるから、でも完璧に弾けるわけがないから、回復が足りなくて死にまくった。
彼は危険攻撃(下段)をするときに「跳べ」って言ってるんだよね(※字幕は「飛べ」)。対処の仕方を教えてくれるなんて優しい(笑)。
最終更新: 2020-02-18T21:10+0900
源の宮へ至る橋上の番人。葦名の底で破戒僧(幻影Ver.)を倒してからここ1か月の間、イベント進行、中ボス退治(七面武者、赤鬼、孤影衆 槍足の正長@白蛇の社、孤影衆 忌み手、孤影衆 槍足の正長@平田屋敷、うわばみの重蔵)、ボス退治(葦名弦一郎、四猿、獅子猿、首無し獅子猿、大忍び 梟、義父)ばかりやっていた。宮の破戒僧を倒したことで新マップ「源の宮」の探索が可能になったが、歩き方を忘れてしまったよ。
なんかわちゃわちゃやっているうちに倒してしまった印象。回復瓢箪9個と回復丸薬3個を使い切っての辛勝。葦名の底では3だった攻め力が今や10なので、体幹ダメージがよく通る。これだと HP ダメージをあえて狙っていく必要がないので、敵の攻撃が直撃するリスクを増やすこちらからの攻撃は控えめにして、弾き優先でいいので気が楽だ。
意識していたのは、両手で柄を押し付けるようにする攻撃に溜めがあることと、その次の斬り上げにはたっぷり溜めがあること。回転5連の3撃目に少し溜めがあることと、危険攻撃(蟲吐き)の対応を間違えてジャンプして直撃を食らうと怖気で死ぬこと。そのせいで3段階目の危険攻撃(下段)はほぼすべて食らってしまった(だが死ぬよりまし)。あとの攻撃は振りをよく見て遅れないように弾くだけ(できるとは言っていない)。ちょっと早いのは防御に化けるだけなので、遅いのと早すぎるのが良くない。
ヒッキー自体は、いわゆる非リア充の、自意識空転系のぼっちな若者でしたけど、、、、そして、その属性や本質はあまり変わっていませんが、、彼を取り巻く関係性はすべて、本物になっていますよね。学園ラブコメのテンプレートを使って、2010年代に、充実する学生生活の過ごし方を、充実するために本当に何が必要か、ということが、ちゃんと伝わっていると思います。そして、その時あげられた問題意識、自意識の空転は悪か?、いや、自意識強いのは行動に移せれば空気の奴隷になり下がらない価値がある。リア充は、へたしたれら相性最高。だって、お互い持っていないものを持つパートナーになれる可能性が高い。仲良くはなれないけど(笑)。本気でかかわった、つくった居場所は、生涯価値のある「本物」を提供してくれることになる。そして、ヒッキーのように、学園カーストの不遇な世界で何かを為そうと思ったら、「空気や常識に従属しないしと行動力がいる」こと、「普通じゃないことをひっくり返すには自己犠牲も含めたアイディアが一ひねりもふたひねりもいること」、「物理的にどうにもならないことでも絶望を知り、ゲームのルールを見通して、覚悟を示すと人を動かし感染して状況をひっくり返す可能性は十分にある」などなど、めちゃくちゃ生きるヒントあふれていると思う。」■最近『まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験』という本を読んだ。スウィングにおける仕事の定義は「人や社会に対して働きかけること」らしい。■行動と働きかけなんだよなあ。その動機をどこに見つけられるかが現実の問題なんだよなあ。内観から他者を見つけられるかっていう。
最終更新: 2020-01-03T02:46+0900
out引数に渡す変数を初期化しないのは「誤り」じゃない気もする。
成否を返す関数の戻り値をチェックしないのは「誤り」だと思います。
否の場合に未初期化のままにされるout引数を利用するのが誤り。だから初期化をするかチェックをしなければいけない。
もちろん 0 で初期化した場合はコンパイラを黙らせる効果しかないので、アプリケーションプログラマの責任でぬるぽを避けなければいけない。
素直に読むと、「STypeConfigMini構造体へのポインタを指す変更不可のポインタ」です。
素直にではなく正しく読め。それ以外に意味はない。
int main() { int * ip; const int * cip; const int * const cicp = 0; // const object must be initialized if not extern const int * const * cicpp; const int * const * const cicpcp = 0; // const object must be initialized if not extern return 0; }
やり方が色々ありそうで会話するのがメンドクサイ感じに思っています。
これは正しい。技術に疎く道理を解さず議論の土俵にも上がれない馬鹿を相手にしなければいけないと面倒くさくなる。
(訳注:パーセンタイルは、成績を低いほうから順に並べ、全体を一〇〇とした時に下から何番目にあたるかを表す数値)」■思うに、余計な情報があるせいで、判断を下すには情報が足りなくなっている。多いせいで足りないとは面白くないだろうか。■解説すると、余計なのは「低い方から」で、キーワードが「下」。「低い方から」を訳注から単に取り除けば、下が指すのは低い成績だと迷いなく判断できる。しかし低い方から並べたと書かれれば、それがどのように並べられたのかが、下の指すものを左右する。なんとなれば高い方から並べたのとは違う結果になるはずなのだから。しかしその違いを明らかにするだけの情報はない。■だから一読して九九パーセンタイルの成績が優れたものか平凡なものか、大いに悩んでしまった。『[ハードカバー] ポー・ブロンソン, アシュリー・メリーマン【間違いだらけの子育て―子育ての常識を変える10の最新ルール】 インターシフト』の117ページ。他に使用例もないしその場合でも簡単に応用できるのだから、パーセンタイルでなく九九パーセンタイルの説明を訳注にしてもよかったんじゃないの、と思う。
遺伝的背景があるとはいえ、ASDの急激な増加の原因として、集団遺伝学的な常識に則れば、たった半世紀の間に集団の中でリスク遺伝子型をもつ者が急激に増えたとは想定しがたい。したがって、発達障害増加の生物学的要因を探索することには大きな意味があると考えられる」 「したがって、~と考えられる。」の接続が理解できなかった。この章は生物学の章であり、筆者はマウスやラットを使った実験の遺伝的背景にすでに言及している。リスク遺伝子の増加が原因ではない「から」生物学的要因の探索に意味がある、とは?と疑問だった。たぶんこうだろうと後で想像したところでは、「したがって、~遺伝子に因らない生物学的要因を探索することには大きな意味があると考えられる。」と解釈すべきだったと思われる。■さらに続く。「生物学的要因」の探索は薬物と環境ホルモンを経て親の加齢へと至る。246ページ。「
上記の父加齢による自閉症リスク増加の原因として真っ先に考えられるのは、精子における新たな(de novo の)遺伝子変異の増加である。」 さっき「リスク遺伝子が集団の中で急激に増えたとは想定しがたい」って書いたのに、「遺伝子変異の増加」を「生物学的要因」のひとつに挙げるの?と二重に疑問だった。たぶんこうだろうという想像では、「新たな(de novo の)遺伝子変異」という単語に他と区別される特別な(分野における専門的な?)意味が付与されているのだと思う。それは直後のこの文から想像した。「
自閉症の遺伝子解析では、親から受け継いだ変異よりも、このような de novo の変異が多く、さらに父方由来が多いことが報告されている。」 「親から受け継いだ」の「親」が指すのは両親を含まない祖父母から祖先のことだけだと考えなければ辻褄が合わない。逆に言えば、高齢の父の精子に生じた(de novo の)遺伝子変異は子に受け継がれ自閉症リスクを増加させると考えているが、「親から受け継いだ変異」ではなく、したがって遺伝的要因にも数えられない、ということ。しかし俺はそんな用語の機微や理屈は知らないし伝わらない。■これに関して筆者の混乱・推敲不足を考えることもできる。あとの方で筆者が、遺伝子的に共通する問題を抱えた若年父マウスと高齢父マウスから得られた仔マウスのあいだの差異を調べたことが述べられており、その要因としてエピジェネティクスを想定している。それは高齢父という遺伝子に因らない環境要因の影響を明らかにする実験であるし、エピジェネティクスは Wikipedia によれば「
一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である」から、疑問を感じた部分に入れ替わって無理なく納まる。■いや待て。「父加齢という環境要因」(255ページ) からは高齢父の精子における de novo の遺伝子変異が除外されていないのではないか。読み直したがたぶんそう。そして de novo の遺伝子変異とは「
生殖細胞の形成過程において生じるDNAのコピーミスが原因となる。すると、親の体の細胞には認められない遺伝子変異が生殖細胞に生じることになるのだ」(246ページ) と説明されている。結局、この筆者が「de novo の突然変異」をどのように他と区別して分類しているのか、その扱いが一般の(つまり自分の)感覚からは乖離していて、そのままは受け入れられない。論理展開の疑問はやはり疑問のまま残った。■これがヒントになるのか謎を深めるだけなのかまだわからないけど、もうひとつ引っ掛かった部分があった。243ページ。「
ここで遺伝学や遺伝子に馴染みのない方に補足すれば、「責任遺伝子」とは、その遺伝子を構成するDNA塩基配列の中の特定の塩基の違いと、疾患や症状の間に有意な相関性がみられることを指す。けっしてASDの方のみが「リスク遺伝子Xをもつ」というようなイメージではない。強いていえば、ASDの方では「遺伝子Xの働きが健常者とやや異なる」ということを意味する」。この部分を一読して、「強いていえば~」はただのごまかしではないかと思ったのだった。つまり遺伝子に対する自分の理解では、遺伝子Xとその変型X′が存在していて、X′を持つ人に自閉症傾向が強いというのなら、それは「リスク遺伝子X′をもつ」と言えるのではないか、それを否定して「
遺伝子Xの働きが健常者とやや異なる」と説明するのはただの言い換えでありごまかしではないか、と思ったのだった。遺伝子というものに対するこの認識の齟齬が他の疑問点を生む根っこだったのかも、と今ちょっと思っている。わからない。ひょっとして「遺伝子」を「ゲノムDNAのうちアミノ酸配列をエンコードする部分」に限定して、そこ「は」他の人と同じだと慰めようとでもしたのだろうか。■「遺伝子多型 - 脳科学辞典」■前から順に読んできて、8章で初めて対象読者から外れた感がある。これまでは自閉症児の親や各分野の初学者がそうだと思っていた。だから非常に読みやすく理解しやすかった。■また、通底することだけど、自閉症を含む発達障害を脳の発生・発達の「不具合」であると屈託なく述べることや、「ASDをはじめとした発達障害の発症率」という文に見られる「発症」という語の使用や、実験対象として人間とマウス・ラットを並べて有利不利を比較してみせることや、「自閉症の遺伝子解析」という語の使用に見られる解析対象に対する想像力の欠如などは、いかにも臨床からも社会からも遠い先生の無防備さだと思う。■「発症」という語の使用に関する補足。発達障害における発症とはどの瞬間なのかということ。発症前・発症後の区別ができるのかということ。たぶん認知症も含めるべきなんだと思うけど、日々関わる人間が見ているのは、その人個人のありようであって、病やその症状を見ているのではないし、また、そう見るべきではないとも思う。病に起因する傾向や行動はあるし、その原因を探ることも意義のあることではある。不都合を病のせいにして救いを得るのは推奨される知恵だと思うし、病を理由にして責任能力を限るのも合理的だとは思う。でもことが脳の領域に及ぶからこそ、黄疸が見られる、細胞が癌化している、などと全く同じように見たものを捉えること、病や原因物質、器質異常を見るあまり人間を見失ってしまうようなことは、あってはならないと思う。本人は、病気や障害を含めて自分であると、受け入れてやっていくしかないのだから(否定すれば人生の部分が失われる)。これが「ASDをはじめとした発達障害」が「発症」するものであるかのような言葉遣いに違和感を覚える理由。妥当に思う代替案は「発達障害であると診断される人の割合」あたり。今考えた。■■■章立ては9章までで終わりだった。第9章は認知科学。8章の人と同じ大学、同じ院の異なる研究科の人が書いていて不安があったが、一冊を通しても特に刺激的な内容で、途中何度も巻末の参考文献を参照しながら(あとで読みたいと思った)、一気に読み終えた。これは認知科学が「
人間や動物の心のはたらきを「情報処理プロセス」として理解・モデル化しようとする科学である」(263ページ) ことと無関係ではないと思う。だってすごく親和的だと思わない?(何と? 答えは268ページに)■巻末の鼎談でも新たな発見があった。それは9章にもあったのだけど、Twitter のあの界隈(※本とは無関係)で見かける議論・用語はこういう考えが背景にあったのか、という前提知識を断片だけど窺い知ることができるものだった。