/ 最近 .rdf 追記 設定 本棚

脳log[2020-01-03~]



2020年01月03日 (金) 新しいシャツが届いたので古いのを捨てた。元日に洗濯して畳んでるときに袖の付け根が裂けてるのに気付いたのがきっかけ。衿はとうに裂けて裏から布を当ててあった。全体にすり切れていてどんどん手が付けられなくなるだろう。調べたら2008年の10月に買っていた。■厚くも薄くもない綿100%なので、真夏に羽織るには暑いし、真冬に中に着込むには薄い。だから元日に洗濯してオフシーズン用のタンスにしまうところだった。■気温に応じたレイヤー構成で同じポジションにある服はだいたい2、3着をローテーションしてる。直接肌に触れないようにして(特に首)、洗うのは2、3週間に1回。洗濯はかごに放り込んで終いではないし、服は洗濯で消耗する。4番手以降の服が選ばれることは決してない(※)。だから減らす。※組み合わせとTPOを無視したダメ発言。わからんのだからしゃーないね。


2020年01月02日 (木) [W53S] 「ケータイのカレンダーが2019年までで終了していて来年以降の予定を入れられないし」と書いていた W53S。4か月前に Xperia に移行したので、用済みの W53S(2台+バッテリー3つ。それと A1301S) は au ショップで穴を空けて処分してもらったのだけど(※穴を空けたのは本体。バッテリーに穴を空けるのはたぶん危険)、それらが2020年にどうなっていたか、結果がこちら。「IGさんのツイート: "目覚ましが作動しなかったので、おっかしいなぁ〜っと携帯見たら目覚ましどころじゃなかったw 2020年を迎えることが出来なかったっぽいw… "」■「複数のガラケーで、2020年以降のカレンダーは存在しないことが確認される | スラド モバイル」■W53Sのサブディスプレイは白黒の有機EL。閉じたときのアニメーションが簡単にカスタマイズできるので、拾い物のどせいさんを歩かせていた>11_1.gif。■この日記ページである文字がときどきクルリと回転するのは、W53Sのサブディスプレイに時計を表示したときにときどき見られるアニメーションを真似したもの。textfunc.kururi.js


2020年01月01日 (水) 14巻を早く買わねば(「あ、奉仕ってキーワードなんだよな(20141205)。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』が先月発売されている」)。■本とアニメと映画の参考にしているサイト(映画を見る機会はないけど)「さて、これが、「ほんとうの友達」とは何かの、「ほんとう」の部分にかかっていることは、わかるでしょうか。「ほんとうの」というのは、空気の支配を受けない関係性のことをいっている。何かの構造的な圧力のものに出来上がる関係性ではなく、内発的な「自分の自由意志によってえられ、作られ、継続していく」ものが、本物なんだよ、という結論。」■ここから導かれることは……猫こそがソウルフレンドである!ということ。間違いない。以前に書いた。「「猫って反省するの? : 2chコピペ保存道場」。しません。次は見つからないようにやるだけです。自分の欲に忠実で、獣の本能には逆らえないけど、でも爪とぎに関しては、別に用意したうえで叱ってやれば二回目からは畳で研いだりしなくなる(※うちの猫の場合。見てる限りにおいては?)。理解するし空気も読むんだよね、そのうえでどうするかの裁量を決して手放さないだけで(そこが愛しい)。」■裁量を手放さないが、空気を読んで寄り添ってくれる……こともある。そこが、だからこそ、愛おしい。■人間の自由意志の実在が甚だ疑わしいものであるのに、アホの子かわいい猫ちゃんに何を見出すのか。単純なのはお前の方だ、という声が聞こえないではないが、幸せだからいいのである。■■■後編来た。べた褒め!「『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』12-14巻 渡航著(2) あなたのために人生を捧げますということ - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために」。結び。「ヒッキー自体は、いわゆる非リア充の、自意識空転系のぼっちな若者でしたけど、、、、そして、その属性や本質はあまり変わっていませんが、、彼を取り巻く関係性はすべて、本物になっていますよね。学園ラブコメのテンプレートを使って、2010年代に、充実する学生生活の過ごし方を、充実するために本当に何が必要か、ということが、ちゃんと伝わっていると思います。そして、その時あげられた問題意識、自意識の空転は悪か?、いや、自意識強いのは行動に移せれば空気の奴隷になり下がらない価値がある。リア充は、へたしたれら相性最高。だって、お互い持っていないものを持つパートナーになれる可能性が高い。仲良くはなれないけど(笑)。本気でかかわった、つくった居場所は、生涯価値のある「本物」を提供してくれることになる。そして、ヒッキーのように、学園カーストの不遇な世界で何かを為そうと思ったら、「空気や常識に従属しないしと行動力がいる」こと、「普通じゃないことをひっくり返すには自己犠牲も含めたアイディアが一ひねりもふたひねりもいること」、「物理的にどうにもならないことでも絶望を知り、ゲームのルールを見通して、覚悟を示すと人を動かし感染して状況をひっくり返す可能性は十分にある」などなど、めちゃくちゃ生きるヒントあふれていると思う。」■最近『まともがゆれる 常識をやめる「スウィング」の実験』という本を読んだ。スウィングにおける仕事の定義は「人や社会に対して働きかけること」らしい。■行動と働きかけなんだよなあ。その動機をどこに見つけられるかが現実の問題なんだよなあ。内観から他者を見つけられるかっていう。


2019年12月30日 (月) エヴァに比べるとカラーという会社はあまり知られていません。そのため、設立10周年を機に、「株式会社カラー」という存在を少しでも知ってもらいたいと考えました。」■貞本義行さんの漫画版のコピーライト表記にある巻からカラーという見慣れない名前が加わっていて、うさんくさい印象を持ったのが最初。調べたら2巻から10巻までは「©GAINAX」で、2007年発売の11巻が「©GAINAX・カラー」。2010年の12巻と2012年の13巻が「©カラー・GAINAX」で、2014年の14巻が「©カラー」だった。発売間隔……。


2019年12月27日 (金)

最終更新: 2020-01-03T02:46+0900

https://github.com/sakura-editor/sakura/issues/896#issuecomment-569286911

out引数に渡す変数を初期化しないのは「誤り」じゃない気もする。

成否を返す関数の戻り値をチェックしないのは「誤り」だと思います。

否の場合に未初期化のままにされるout引数を利用するのが誤り。だから初期化をするかチェックをしなければいけない。

もちろん 0 で初期化した場合はコンパイラを黙らせる効果しかないので、アプリケーションプログラマの責任でぬるぽを避けなければいけない。

素直に読むと、「STypeConfigMini構造体へのポインタを指す変更不可のポインタ」です。

素直にではなく正しく読め。それ以外に意味はない。

int main()
{
	int * ip;
	const int * cip;
	const int * const cicp = 0; // const object must be initialized if not extern
	const int * const * cicpp;
	const int * const * const cicpcp = 0; // const object must be initialized if not extern
	return 0;
}

やり方が色々ありそうで会話するのがメンドクサイ感じに思っています。

これは正しい。技術に疎く道理を解さず議論の土俵にも上がれない馬鹿を相手にしなければいけないと面倒くさくなる。


2019年12月26日 (木) 今日読んでた本の訳注が難しかった。これ。「(訳注:パーセンタイルは、成績を低いほうから順に並べ、全体を一〇〇とした時に下から何番目にあたるかを表す数値)」■思うに、余計な情報があるせいで、判断を下すには情報が足りなくなっている。多いせいで足りないとは面白くないだろうか。■解説すると、余計なのは「低い方から」で、キーワードが「下」。「低い方から」を訳注から単に取り除けば、下が指すのは低い成績だと迷いなく判断できる。しかし低い方から並べたと書かれれば、それがどのように並べられたのかが、下の指すものを左右する。なんとなれば高い方から並べたのとは違う結果になるはずなのだから。しかしその違いを明らかにするだけの情報はない。■だから一読して九九パーセンタイルの成績が優れたものか平凡なものか、大いに悩んでしまった。『[ハードカバー] ポー・ブロンソン, アシュリー・メリーマン【間違いだらけの子育て―子育ての常識を変える10の最新ルール】 インターシフト』の117ページ。他に使用例もないしその場合でも簡単に応用できるのだから、パーセンタイルでなく九九パーセンタイルの説明を訳注にしてもよかったんじゃないの、と思う。


2019年12月24日 (火) 今日の『<自閉症学>のすすめ』は第8章・生物学。前回>20191121。限られた知識と能力しか持てない一人の読者の感想ではあるが、残念な出来だった。■神経誘導などの専門用語とオーケストラのたとえを使った導入がどちらも失敗しており興味と理解が喚起されない。だからその間2度挿入された自著紹介が効果的だったとも言わない。■244ページ。「遺伝的背景があるとはいえ、ASDの急激な増加の原因として、集団遺伝学的な常識に則れば、たった半世紀の間に集団の中でリスク遺伝子型をもつ者が急激に増えたとは想定しがたい。したがって、発達障害増加の生物学的要因を探索することには大きな意味があると考えられる」 「したがって、~と考えられる。」の接続が理解できなかった。この章は生物学の章であり、筆者はマウスやラットを使った実験の遺伝的背景にすでに言及している。リスク遺伝子の増加が原因ではない「から」生物学的要因の探索に意味がある、とは?と疑問だった。たぶんこうだろうと後で想像したところでは、「したがって、~遺伝子に因らない生物学的要因を探索することには大きな意味があると考えられる。」と解釈すべきだったと思われる。■さらに続く。「生物学的要因」の探索は薬物と環境ホルモンを経て親の加齢へと至る。246ページ。「上記の父加齢による自閉症リスク増加の原因として真っ先に考えられるのは、精子における新たな(de novo の)遺伝子変異の増加である。」 さっき「リスク遺伝子が集団の中で急激に増えたとは想定しがたい」って書いたのに、「遺伝子変異の増加」を「生物学的要因」のひとつに挙げるの?と二重に疑問だった。たぶんこうだろうという想像では、「新たな(de novo の)遺伝子変異」という単語に他と区別される特別な(分野における専門的な?)意味が付与されているのだと思う。それは直後のこの文から想像した。「自閉症の遺伝子解析では、親から受け継いだ変異よりも、このような de novo の変異が多く、さらに父方由来が多いことが報告されている。」 「親から受け継いだ」の「親」が指すのは両親を含まない祖父母から祖先のことだけだと考えなければ辻褄が合わない。逆に言えば、高齢の父の精子に生じた(de novo の)遺伝子変異は子に受け継がれ自閉症リスクを増加させると考えているが、「親から受け継いだ変異」ではなく、したがって遺伝的要因にも数えられない、ということ。しかし俺はそんな用語の機微や理屈は知らないし伝わらない。■これに関して筆者の混乱・推敲不足を考えることもできる。あとの方で筆者が、遺伝子的に共通する問題を抱えた若年父マウスと高齢父マウスから得られた仔マウスのあいだの差異を調べたことが述べられており、その要因としてエピジェネティクスを想定している。それは高齢父という遺伝子に因らない環境要因の影響を明らかにする実験であるし、エピジェネティクスは Wikipedia によれば「一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である」から、疑問を感じた部分に入れ替わって無理なく納まる。■いや待て。「父加齢という環境要因」(255ページ) からは高齢父の精子における de novo の遺伝子変異が除外されていないのではないか。読み直したがたぶんそう。そして de novo の遺伝子変異とは「生殖細胞の形成過程において生じるDNAのコピーミスが原因となる。すると、親の体の細胞には認められない遺伝子変異が生殖細胞に生じることになるのだ」(246ページ) と説明されている。結局、この筆者が「de novo の突然変異」をどのように他と区別して分類しているのか、その扱いが一般の(つまり自分の)感覚からは乖離していて、そのままは受け入れられない。論理展開の疑問はやはり疑問のまま残った。■これがヒントになるのか謎を深めるだけなのかまだわからないけど、もうひとつ引っ掛かった部分があった。243ページ。「ここで遺伝学や遺伝子に馴染みのない方に補足すれば、「責任遺伝子」とは、その遺伝子を構成するDNA塩基配列の中の特定の塩基の違いと、疾患や症状の間に有意な相関性がみられることを指す。けっしてASDの方のみが「リスク遺伝子Xをもつ」というようなイメージではない。強いていえば、ASDの方では「遺伝子Xの働きが健常者とやや異なる」ということを意味する」。この部分を一読して、「強いていえば~」はただのごまかしではないかと思ったのだった。つまり遺伝子に対する自分の理解では、遺伝子Xとその変型X′が存在していて、X′を持つ人に自閉症傾向が強いというのなら、それは「リスク遺伝子X′をもつ」と言えるのではないか、それを否定して「遺伝子Xの働きが健常者とやや異なる」と説明するのはただの言い換えでありごまかしではないか、と思ったのだった。遺伝子というものに対するこの認識の齟齬が他の疑問点を生む根っこだったのかも、と今ちょっと思っている。わからない。ひょっとして「遺伝子」を「ゲノムDNAのうちアミノ酸配列をエンコードする部分」に限定して、そこ「は」他の人と同じだと慰めようとでもしたのだろうか。■「遺伝子多型 - 脳科学辞典」■前から順に読んできて、8章で初めて対象読者から外れた感がある。これまでは自閉症児の親や各分野の初学者がそうだと思っていた。だから非常に読みやすく理解しやすかった。■また、通底することだけど、自閉症を含む発達障害を脳の発生・発達の「不具合」であると屈託なく述べることや、「ASDをはじめとした発達障害の発症率」という文に見られる「発症」という語の使用や、実験対象として人間とマウス・ラットを並べて有利不利を比較してみせることや、「自閉症の遺伝子解析」という語の使用に見られる解析対象に対する想像力の欠如などは、いかにも臨床からも社会からも遠い先生の無防備さだと思う。■「発症」という語の使用に関する補足。発達障害における発症とはどの瞬間なのかということ。発症前・発症後の区別ができるのかということ。たぶん認知症も含めるべきなんだと思うけど、日々関わる人間が見ているのは、その人個人のありようであって、病やその症状を見ているのではないし、また、そう見るべきではないとも思う。病に起因する傾向や行動はあるし、その原因を探ることも意義のあることではある。不都合を病のせいにして救いを得るのは推奨される知恵だと思うし、病を理由にして責任能力を限るのも合理的だとは思う。でもことが脳の領域に及ぶからこそ、黄疸が見られる、細胞が癌化している、などと全く同じように見たものを捉えること、病や原因物質、器質異常を見るあまり人間を見失ってしまうようなことは、あってはならないと思う。本人は、病気や障害を含めて自分であると、受け入れてやっていくしかないのだから(否定すれば人生の部分が失われる)。これが「ASDをはじめとした発達障害」が「発症」するものであるかのような言葉遣いに違和感を覚える理由。妥当に思う代替案は「発達障害であると診断される人の割合」あたり。今考えた。■■■章立ては9章までで終わりだった。第9章は認知科学。8章の人と同じ大学、同じ院の異なる研究科の人が書いていて不安があったが、一冊を通しても特に刺激的な内容で、途中何度も巻末の参考文献を参照しながら(あとで読みたいと思った)、一気に読み終えた。これは認知科学が「人間や動物の心のはたらきを「情報処理プロセス」として理解・モデル化しようとする科学である」(263ページ) ことと無関係ではないと思う。だってすごく親和的だと思わない?(何と? 答えは268ページに)■巻末の鼎談でも新たな発見があった。それは9章にもあったのだけど、Twitter のあの界隈(※本とは無関係)で見かける議論・用語はこういう考えが背景にあったのか、という前提知識を断片だけど窺い知ることができるものだった。


2019年12月23日 (月) はまお(36)さんのツイート: "泣いていい????? タクシーアプリでタクシー呼んで寒い中ずっと待ってたのに、そのタクシー全然違うカップル乗せてホテル行ったんだけど???んで支払いだけ私のカードから引き落とされてんだけど????なんで私が知らんカップルのホテル移動代出さなきゃいけないの???は??は??"」■配車手配をした時点でもう金を握られているということなのね。怖い。よほどそのアプリの運営者を信用していないとできないし、こういう、ミスを前提としない、そして一番先に不利益を被るのが利用者、というやり方をするところは信頼に値しない。つまり、怖い無理。


2019年12月17日 (火) くれぐれも、放り出すことがないように。」とは書いたものの、「お前が言うな」と言われてもまったく仕方のないことだと思う。だからあれは論理を越えたところにある呪いの言葉なんである。効くと思われれば効くし、効かないと思われれば効かない、しかし効いて欲しいと望んでいる、呪いの言葉。だけどその結果は beru さんの無駄遣いであると俺は思っている。生み出される「バグ」ではなく、「バグ」を生む人間に対処するべきだと思っている。若くて謙虚で向上心がある相手であれば、目を掛けて報われる未来も期待できよう。でもあれは?■「この時点」で抽象を扱う能力にすでに疑問があった。そして風向きを読むことさえできずに正反対に受け取めてしまうのも、これが最後ではなかった(むしろそんな誤読ばかりでつっこみが追いつかないほどだった)。つまり、「ニュータイプ」とはこの文脈において誉め言葉にはならない。抽象レベルの異なる2つの概念、C において抽象的存在であった真偽値と、真偽値に実体を与える具象としての数値型とを、必要に応じて分けて考えられる方が上等なのである。上等な意見がこれ。「しかしゼロ/非ゼロによる判定はどちらかというとC言語的な世界観であり、それはつまり機械語的な世界観であり、「そういう考え方もある」ことは当然知っているけれども人間的に(というか論理値であることを明示するために)そういう書き方は避けたい人が一定数いる、という文脈として自分は解釈しています。」 分けて考えられない、抽象を扱えない人間が、自称ニュータイプなんである。雑談だからつっこまないで流せるんだ。それは慈悲だ。■すこし戻ったところにある「う~む、Rubyでは「if :EXPRの:EXPRが0のときにも条件が成立する」ということがやはり読み取れない。」も、あえてつっこまずに流した。リンク先にはこう書いてある「if expressions are used for conditional execution. The values false and nil are false, and everything else are true.」 0は nil か? 0は false か? 0が、空文字列が、空配列が、何か特別な扱いを受けると書いてあるか? C において NULL は 0 だが、アドレス 0 はただのアドレスの1つであり、便宜上の定義だと理解しているか? Ruby の変数は参照型プリミティブ型の区別なくすべてがいわば Nullable であり、また、nil(nullと同じ)が NilClass のインスタンスとして定義されていて、数値の1つ(たとえば0)に特別な意味を割り当てるというような妥協が必要ないから、数値は値に依らず値の存在を以て true と判断されるのである。英文ドキュメントが1次ソースかどうかあやしい Ruby であえて英語のドキュメントにリンクを張って、しかもそれが読めていないことをいちいち指摘せずに済ませられるのも、それが雑談だからだ。■自分に都合の良い歪んだ認知世界に安住して自己を省みる目を持たない馬鹿は無敵である。だから馬鹿に馬鹿と言って目を覚まさせる必要があるんだ。それが意思決定の場面であるから、慈悲は退けられるんだ。俺も時にはある面では馬鹿だし、特に馬鹿と相対したときに同じレベルの馬鹿に堕するという自覚があるが、それでも、自分が誤っていることに気付かずにいる可能性に怯えているという点で、まだましだとは自負している。■■■あとつっこみ忘れてたけど、「これは「オブジェクト指向」という設計思想に基づく変更です。」 マルチパラダイム言語である C++ を使っていてパラダイムのひとつにすぎないオブジェクト指向を錦の御旗に掲げられても困る。登場から何十年という単位で経ってオブジェクト指向が唯一の解でも万能の解でもないことがとうに明らかになっていて、世の中はオブジェクト指向を捨てないまでその先を模索して到達している地点もあるというのに、今さら「オブジェクト指向かくあるべし」みたいな空論はいらない。まして有象無象の私的解釈なんぞ日本語の入門書より信用ならない。まず「理解してや」。そんで出典付きで反論してや。本物を追求する姿勢を揶揄するだけの人間が(「「本物は違うぜ!」ってところは見飽きました」)、何を語れるか知らんけど。もう済んだことだけど、言い忘れてたので。


2019年12月11日 (水) 挨拶ができない人の心的メカニズムについて。つまり自分のこと。■単純に怖い。予測不能性に対する怖さ。挨拶をするということは挨拶を返すことを「要求する」行為だという認識が、まずある。中学のときの体育の先生が、卒業に当たって自分宛の色紙に「他人を頼ることを覚えなさい」という意味を込めた漢字を書いてくれた(※込めた意味は受け取るときに聞いた。実はテキトー書いてるかもしれない。でも変容した結果であれ自分に指針を与えたことに変わりはない)。他人が、怖い。要求することも頼ることも難しい。■ひとつ知って楽になったのが、いつも率先して元気よく挨拶をする人が、挨拶を返さずに素通りされてしまった後にふとこぼした「なんだあいつ」というつぶやき。あ、空気のような挨拶ってないんだ、不満に思っていいんだ、という発見だった。挨拶をして返ってこなくてがっかりして、そのときに相手を責めてもいいんだと知って楽になった。■近くにいて助かっている人がいる。その人はこちらが挨拶をしないことを許してくれない人だ。必ずいい笑顔で挨拶をしてくれるし、挨拶を要求してくれる。そういう信頼があるから、落ち着いて挨拶が返せるし、こちらからも不安なく挨拶ができる。非常に助かっている。■どちらでもいいという態度だったり、たまに返ってこなかったりすると、じゃあ俺もいいや、とすぐにサボります。不確定要素に心を乱されたくない(乱されやすい)。■子供の頃は挨拶という儀礼的なプロトコルに従わせられることへの反発もあった。せめてもの抵抗が「おかえり」に対して「おかえり」と返すことだった。■■■多くの人は他者との間で影響を与えたり与えられたりすることを当たり前のこととしているのだと思う。人間って関係ってそういうものだと思う。他者に働きかける(支配する、操作する、感動させるとか)という発想がないもんな、俺は。欲望の「対象」にすることをタブー視するのも同じことなんではないかと思うが、どうだろう。■■■「実はテキトー書いてる」とさっき書いた。長いこと学習机の一番下の引き出しの奥の空間にしまわれていたのを覚えているのだけど、もう確認できないと思っていた。あった(机はもうない)。捨てられないものなのだな。「頼」か「望」だと思っていた漢字は「求」だった。つまり意味は変質していなかった。


2019年12月10日 (火) 発達障害の人が騙されやすい理由は「相手の考えを読まない上に誰もが本音で生きてる」と世界を捉えているから説に共感の声続々 - Togetter」■高校生のときの発見。役割や責任を引き受けたりはまだしも、行事を盛り上げたりするときでも必ずしもその人がそれを望んでやっているとは限らない、ということ。もちろん本人の意思が 0 % ではないと思う。でも 100 % でもなくて、何割かは「空気を読んで」「義務感から」「自分を押し殺して」いる部分がある。これが発見だった。「え、楽しいから、騒ぎたいから、盛り上がってるんじゃないの?」と漏れた本音に驚いた。声が身内から湧いてくるからそうなんだと本気で思っていた。でもそうでない人もいた。皆で作り上げるその時その空間に奉仕する人がいた。■自分はカギ括弧で括った3つの心性を持たない「無責任な」人間です。あ、奉仕ってキーワードなんだよな(20141205)。『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。⑭』が先月発売されている。■自分は発達障害(これは ASD を含む概念)ではないし、「発達障害」で一括りにできる人間も、この診断に関しては特に、いないと思ってる(傾向と典型はあったとしても)。「本音で生きてる」という部分に反応して書いてみた次第。自分がそうだったら他の人もそうだと考えちゃうよね、発見するまでは。自分以外の人間が感じている(かもしれない)プレッシャーの存在を自覚しておきたい。知らず利用しておきながらそれを当然と錯覚しないように。


2019年12月09日 (月) 今日(8日のこと。今日とは? 日記とは?)の天気を指して「時雨れてる」と言い表す人(おばあちゃん)がいて、そういえば俺は時雨を漢字の問題としてしか知らないなと ATOK で辞典を引いた。「①晩秋から初冬にかけて断続的に降る小雨。(明鏡国語辞典)」 おお、まさしく時雨だった。■時雨をトキウ・Timefall と読んでしまうのはデス・ストランディングをプレイしている真っ最中の人。


2019年12月08日 (日) Android のメッセージアプリ。会話の起点から終わりまでの間に何分経過していたのか知りたかった。最初から見えているのは起点の日時だけ。何が起こるのか予測できないものを触りたくはないけど、あるメッセージをタップしたら「19分」と表示された。「は?」起点と現在の時刻の間にそのメッセージを位置づけると同日同時の19分という意味ではないと推定されたので、たぶん「19分(前に着信)」という意味。それで起点の日時から現在時刻の19分前までの時間は……。現在時刻は……。■時刻の相対表示っていうのが現在時刻とセットで初めて意味を成すペアの片割れに過ぎない。一方の「19分」だけを記憶していても1分後にはもう価値のない情報になっている。情報の形が特定の用途に最適化されて削られているせいで、俺の役には立たなかった。■賢しらなことをしようとして失敗する機械を俺は憎む。やるなら完璧にこちらの望みを叶えるしかない。できないなら命じられたことだけをこなす素直な道具であることだ。隠して役に立つ情報なんてないのに、余計な気を回すな。■■■タイムゾーンについて読んだことがある。横に長い国が複数のタイムゾーンを持っていることから始まる話。でも俺には関係がなく、スマホは俺の道具なんだよな。役に立たないメッセージアプリ。