f^k(i) = i
になった瞬間に変化が止まるよね。循環させられなくない?■@2023-01-24 1回1回 A 数列を置き換えるとは書いてないのかな。うっかり者の役に立つサンプルをくれ。■N を探索する愚直解法と中国剰余定理を愚直に解く解法ができた。でも P = 2,3,5,7,11,13,17,23,29
としたとして P.sum = 110
、P.inject(:*) = 340510170
なんだけど、N の上限が 10^9 だから 10**9/340510170 = 2.93
ということで確率3割の当てもんになる。え、どうするの? 何回でも提出する? 法に合成数を使うことで何か変わる? なんでそんな意地悪するの?■提出 #38300369 (AC / 904 Byte / 78 ms)。29 を除いて 2 と 3 を 4 と 9 に置き換えることで P.sum = 108
、P.inject(:*) = 1338557220 > 10**9
にできた。今日の収穫は、中国剰余定理の答えを愚直に求めても許されるとわかったこと。小さい方の法の大きさを上限とするステップで答えが見つかる。これからは中国剰余定理わかりませんであきらめなくて良さそう。S の部分文字列とは、S の先頭から 0 文字以上、末尾から 0 文字以上削除して得られる文字列のことをいいます。 例えば、ab は abc の部分文字列ですが、ac は abc の部分文字列ではありません。」 折りたたまれた用語の説明を読んでいなかった。今回の「部分文字列」は連続部分文字列と呼ばれることもあるものだった。やつあたりに聞こえるだろうけど、知らない人のための用語解説なら折りたたむのも結構だけど、問題の一部としての定義なら隠してはいけないと思う。必ずクリックして開かなければいけないなら(それなしでは問題文が曖昧になるのなら)隠す目的はなんだ。■F 問題。提出 #38104204 (AC / 1984 Byte / 634 ms)。ソースを見るに余裕のなさが窺える。「脳みそに余裕がなくなるとクラスや日本語変数がソースに現れる傾向があるみたい」。日本語をクラス名にするために Class オブジェクトを明示的に new しているとはずいぶんな余裕のなさ(※日本語は小文字扱いなので(=定数ではないので) class 構文が使えなかった)。間に合うみたいだったのでセグメント木はやめて転倒位置をソート済み配列で管理する当初の方式に BIT 26 本の利用を付け加えた。これを時間内に解くのは無理だよ、量的にも。青 diff でした。青 diff ならもう射程に入ってないといけないんだよなあ。■経緯を忘れてあらためて考えると、転倒位置の管理に BIT を使わない理由がないなあ>提出 #38325205 (AC / 1645 Byte / 593 ms)。BIT 27 本。
見えないことは存在しないことではない」■これはまったくその通りで、周囲を見回して人がいないことを確認する、車が来ていないことを確認するというときに、いる・いないの二値ではなく、いる・いない・陰になっていて確認できていないの三値で景色を塗り分けないといけない。いるの否定(=いることが確認できなかった)がいないではないことを認めなければいけない。しかし、すべての免許保持者が NULL を正しく取り扱えるとあなたは信じられますか。私には無理です。
a*Mb-b*Ma
という式を複数の速い提出で見かけた。比例式のような外積のような? 実行前のオーバーヘッドが Ruby 2.7 より小さい Ruby 2.3 であることを差し引いても 12 ms や 27 ms は速いのでは。■提出 #37756578 (AC / 416 Byte / 60 ms)。テキトーにさっきの式をパクってみたらそれでも AC になった。式の意味がわからない。じゃあ最初の提出では何をやっていたかというと、a と b のペアから MA 対 MB の比率ですでに完成した物質 C を取り除いたときに a と b がそれぞれどれだけ過剰かを1つの値にエンコードして DP のキーにしていた。そのキーを例の謎の式にすると a と b の値をデコードする必要がなくなってエンコードした値そのもので演算ができるらしい。謎。[表記] 新聞などでは「憶病」で代用するが、慣用になじまない。」という事情があるらしい。臆が使えない字だという認識はないし、学校で習ったと思うんだけどなあ。漢字テストできっちり区別させられたと思うんだよなあ。■読んでいた本は『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』。とても良い。マンガや小説が題材になっていて、読んだものや積んでいるものがいくつもあってとっつきがいい。タイトルのセレクトにちょっと思うところがあったのだけど、なんとなく納得できるような意外な事実が明かされたりも。全体に言葉を尽くす、言葉を蔑ろにしないという姿勢がくどいくらい徹底している。言葉が他者とのインターフェイス(のひとつ)であることを考えるとそれは他者や他者との関わりを大事にする姿勢と重なる。たぶん題材である学問分野だけが理由ではないと思う。著者のパーソナリティがだだ漏れでちょっと心配ですよ。それも本の味でとても良いのだけど。■@2023-01-04 最後まで読んだ。フィクションから現在へあざやかに繋がりました。ちょっと前にこういう本も読んだよ。『差別はたいてい悪意のない人がする』(著:キム ジヘ)、『子どもに学ぶ言葉の認知科学』(著:広瀬 友紀)。もちろん関連があると思ったから挙げた。